「尺八の音は出すのが難しい。」という言葉で今週はお話しています。
今日の話題は昨日の話題とかなりつながっています。
お読みでない方は、お時間のある時にお読みください。
さて、僕は、「尺八の音は出すのが難しい。」という印象は、基本的にデメリットだと考えています。
難しい楽器をわざわざ始める奴はいるのか。
「尺八」という難しい楽器を。
そんな入り口を狭める印象はデメリットしかないと。
まあ、僕だって、やっている人が少ないっていう理由で、「お、じゃあちょっと頑張ったら結構いい感じに目立つんじゃない?全国区近そうじゃん?」なんて、クソふざけた理由で初めていますから、音が出にくいネガティブイメージが良い方向に働くことだってあるかもしません。
・・・まあ、そんな理由で始めたやつは、現実を見て気が付いて、気持ちを改めてしっかりとちゃんと勉強しなおして、それでようやく現状ですから。
「そんなに難しいってんなら、やってやろうじゃないか。」みたいな、このタイプの人も多いと思います。
難しいからこそ、みたいなのは、もうドMです。
僕も含めて、いばらの道をわざわざ選んだり、ドМな環境で力を発揮する変態的な(いい意味でいっていますよ。)傾向の人は少数だということをまずはしっかり押さえとかなきゃいけないですね。
難しいとか、難しくないで、選ぶのではなく、カッコいい、とか、いい音!とか、やってみたいという心が動いたことで、尺八を手に取るのが理想ですね。
とはいえ、そのときに、難しい、難しくないで、躊躇するってのはあるんじゃないでしょうかね。
大多数は障害を乗り越えるのは面倒。だと考えます。
可能な限り、障害はないほうがいいし、あるにしても、仕組みとして程よい達成感をもって、乗り越えられる方がいいです。
ですが、現状として難しいという印象があるのですから、その難しいという印象を利用する、という手もあります。
実際に僕も大学生のころ、邦楽部に見学しに来た子をほめまくりましたね。
「いやいやいや、音出せるなんてすごいよ。めったに出ないんだよ。音出せる人少ないよ!センスある!才能あるって!」
といって、音が出せる人が少ないのに、センスと才能を持ち合わせた10人の入部があった年もありました。
ほめられてうれしい。うれしいけど、もっといいほめ方はないか?
ジュニア邦楽だったり、子どもの体験会だったり。
ほめられると、うれしいんです。
みんな。
何をほめられてもうれしいし、モチベーションあがります。
だから、僕は褒めますよ。
尺八は難しいのに、音が出てすごいね。
ってほめると、それでもうれしいんですよね。
でも、あるとき、ふっと思ったことがあるんです。
課題がクリア出来たら、当然ほめるじゃん。
それって、頑張ったからとか、努力したから、成果になってほめられるわけで。
難しいことができたとか、出来る人は少ないからって理由でほめるのっておかしくない?って。
尺八の音が出せることをほめられて、うれしい。
分かる。
その、うれしい、という気持ち、尺八を吹くことだけにしか有効な気持ち。
尺八を吹く以外に使えないかもしれない才能。
すごいねー、尺八吹く才能あるよ!センスあるよ!とかって言われて。
確かにうれしいけど、
確かにうれしいけど、尺八の音を出すのが難しい、でもそれができてすごい。ってほめても、正直微妙なんじゃないかと。
なんにも使えない。
まあ、ほめられた人たちが、そこまで深く考えたりはしないとは思います。
でも、僕はもっといい形に、本人の持っている能力をほめて、気が付くと具体的な自信になるんじゃないかなって、僕が想像できるんならやったほうがいいなと。
本人の成長のためにもっと別のカタチにできないかなと。
それに、尺八の音を出すのが難しい、これができて、すごい。
これって、なんだか尺八目線じゃないですか。
中心を本人の持つ能力にしたいんです。
できたこと、それがすごいことが、
「尺八の音を出すのは難しい」からではなくて
「本人の持っている能力がすごい」ということが伝わるように。
音が出せた理由、その根源には何があるか。
それが、本人の能力だということです。
そこ、本人の能力をきちんとほめて伝えた方が、うれしくないですか?
例えば、
「尺八の音が出せる人は、めったにいないのに、音が出せてすごいね。尺八を吹く才能があるんじゃない??」
といわれても、自分のどんな能力によってできているかが、分かりにくいじゃないですか。
尺八を吹く才能、といわれても、そうか、と思うだけで、他に応用できるようにも思えない。
それを、
「注意深く話を聞いて、素直に自分の体で再現しようと想像力を働かせて体を動せるのは、すごいことだよ!」
と具体的に言うの。
うーん、我ながら、あんまりうまく、例えが書けていないけど。
ともあれ、こんな風に、
本人のもっている能力を、具体的に説明してあげる方が、本人にとって価値があると僕はおもうんです。
話を聞こうとする力、
理解しようとする力、
集中する力、
観察力、
想像力、
素直に受け入れる力、
論理的に考える力、
自分でも試行錯誤する力、
わからないことを質問する力、
などなどなど、他にもいろいろいろいろあります。
尺八を吹く才能、なんて具体的過ぎるし、そのほかのことに役に立つとも思えない。
でも、
それが成り立っているものを、分解して伝えたら、本人が思いもしなかった自分の能力、長所に気が付くことができる。
どれか一つでもいい、その能力は、他の物事に応用できるし、勉強でも仕事でも、突破口につながる能力になるになると大事にすると思うんですよ。
個人個人のよさをみることで、生徒さんの悩みにも寄り添えるし、それにあった解決方法を考えることができるます。
尺八を学ぶことでなにか良いことがあるか、を生み出す。
もうぶっちゃけて言えば、尺八が上手に吹けるようになることにさほど意味なんてないと思っています。
たのしいとか、好きとかそういったものを満たしてくれる以外には。
勉強の役に立つわけでもない、
就職に有利になるわけでもない、
プロの世界が確立しているわけでもない、
収入が増えるわけでもない、
別になんでもないんですよ。
もちろん、演奏出来て楽しい、あの音色が出せて楽しい、うれしい、とかモチベーションになるのもあります。
でもさ、だからなに?
なにかいいことあるん?
成績にも影響ないし、いい大学に行けるわけでもない、
就職に有利になるわけでもない、
そんなこと無意味じゃないか。
といわれたらそれまでなんです。
そうですね。としか言いようがありません。
そこで、いきり立って、あーだ、こーだ、言おうとも思いません。
そんなものなのに、尺八に興味をもって、やってみたい、演奏したい。と思った方になにかプラスになることができないかと思ったりするんです。
尺八を通じて、何か人生の役に立つことを、自分の長所に気が付く、論理的思考回路が身につくものだとしていきたいのです。
自分の良いところ、ほめられたところをさらに伸ばして、他の出来事にも応用できるようになる。
多くの人が陥りがちな成長を阻害する思考をしり、成長に役立つための思考方法を、尺八を通じて学ぶ。
趣味とかは人生のいろどりだと思います。
それ、そのものも、もちろん楽しみや張り合いとして意味があります。
彩になります。
そこを、もう一歩踏み込めたら、って思うんですよ。
学びのあるものとして。
目的が、音楽を学ぶ、伝統を学ぶ、じゃ選ばれない。
江戸後期、明治などのころは、こういった芸事は教養の一つ、その人間の中身を予測させるもの、担保するものの一つとして考えられていました。
その理由は、時代的なモノもありますが、そういった芸事を学べる環境にあることが、基礎的な能力を担保したり、そこで学んだことで形成されるものにも信頼があったからです。
時代が変わったから、当時と共通するものではなくていいと思います。
なんでもいい、何か一つのことを、真剣に取り組むと、なんらかの能力があると、信頼される。
おそらく、あらゆる、習い事や、スポーツ、芸術に取り入れなけらばいけない考え方かもしれません。
最近は、「プログラミングを学べば論理的思考回路を手に入れることができる。」という話がよく話題になりますよね。
でも、これはどんなことでも論理的思考回路を手に入れることができるんです。
上達するために、技術を上げるために、仲間とのコミュニケーションをとるために、などなど、良い成果を出すためには、論理的思考回路の必要性を感じるわけです。
趣味、楽しみ、としてではなく、勉強や仕事、人生そのものに応用出来たら、もっといいじゃないですか。
逆に、人生経験が豊かな方は、趣味、楽しみに大いに応用できる部分があるわけです。
そういった互換性のあるものとして、生かせるものとして、有効にして欲しい。
尺八がそういった存在になるといいなと思っています。
尺八にはいろんな魅力があります。
人生を豊かにする思考方法を身に着けるために最高の素材であること、も魅力の一つになりませんかね?
だって、世間に言わせたら、尺八みたいなもので生活している人たちが少なからずいるわけですよ。
尺八が上達していくことを通じて、問題解決するための思考方法を身に着けていった。
想像力や、集中力、問題を解決して、上達するために何らかの高い能力を育てて、尺八がうまくなっていったと思います。
前言い訳をする思考方法がしみついていくのではなく、成長をするための思考方法がしみついてる。
そう考えなければ、そんなもので食っていけるわけない、じゃないですか。
きっとみなさん、謙遜されると思いますが、めっちゃ、能力高まっているはずです。
どんなジャンルでも何か一つのことを続けて成果を出す。ってすごく特別なことです。
厳しい練習を耐えたから、とか
不条理なレッスンを乗り越えたから、とか、
ちょっとブラックな面で、根性とか精神面の強さが前に出して取り上げる場合があるかもしれません。
でも、本質はそこじゃないんです。
他のもの、仕事をすることに、応用できる能力や、思考回路を育てて乗り越えてきた力、そのものに価値があるのです。
音楽を仕事としなくても、応用できます。
もちろん、仕事で成果を出した方も、尺八の上達に応用できます。
まーったく別のものと考える必要はありません。
すべては、応用できるとおもってください。
ま、そんなわけない。仕事とは別。
尺八で食っていけるわけない。
と考えている人はその時点で、
思考停止モードに突入しています。
お気を付けください。
では、ごきげんよう。
※今日のごはん写真
本文の中の話題で、邦楽部に勧誘した後輩たちに話を聞いたことがありました。
どうして、尺八にしたのか?という理由を
ほめられたから、楽器を選んだ、という後輩。
音が出たから、やってみようと思った。という後輩。
音が出なかったらから、やってみようと思った、という後輩。
いろいろな意見があるんだなと思っている中、
くじらさんが吹いている尺八がめちゃくちゃかっこよかったから。と答えた後輩。
これが、真実にせよ、そうじゃないにせよ、
その思考回路、悪くないね。って僕はおもいますよ。
本文ではめっちゃいい先生のように書いていますが、僕は決してそうじゃないです。
どうしてもだめで辞めてもららった生徒さんだっています。
まだまだ反省の多い日々を送っています。
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