まず「知っている」を改編する。AIで作る和楽器の入り口。

和楽器を「当たり前」の景色に戻す。

そう考えたとき、まず疑うべきは「みんな和楽器を知らないから、普及しないんだ」という業界の思い込みです。

和楽器を、「知らない」「聴く機会がない」物だと考えるのは、大きな間違いです。
これに気づいている人は、和楽器業界に驚くほど少ない。

そもそも和楽器は、伝統的にずっとこの国に在るものです。
知らないわけがない。聴いたことがないわけがないんです。

海外から昨日今日輸入されてきた「未知の物」とはわけが違います。
日本で生きている限り、誰もがすでに和楽器を「知っている」し、「聴いている」のです。

 

問題は、その「知られ方」です。

これまでの長い時間の中で、和楽器はどんな風に知られてきたか。

「伝統」や「格式」というパッケージで語られ続ける。
良い物だ!と言われる音楽がいまいちピンとこない。

その結果、多くの人にとって和楽器は「自分とは関係のない、遠い世界のもの」というイメージで固定されてしまいました。

つまり、「知らない」ことがブレーキなのではありません。
「興味がないもの、必要ない物」という形で「知ってしまっていること」が、強力なブレーキになっているのです。

今さら「尺八は素晴らしい伝統なんです!」と正攻法で伝えても、「ああ、やっぱりそうだよね(伝統=難しいものだよね)」と、そのブレーキを再確認させるだけで終わってしまいます。

だからこそ、その「知っている」という記憶を、全く別の角度から上書き(改編)しなければならない。

 

和楽器を「当たり前」の景色に戻すために。

昨日のブログで紹介した【和楽器もしもソングプロジェクト】。
「J-POPの歌詞に、普通に和楽器の言葉を混ぜる」というこの遊びですが、実は僕の中では、単なるおふざけ以上の「大真面目な狙い」があります。

それは、和楽器の「心理的ハードル」を極限まで下げることです。

既存のJ-POPを和楽器で演奏する動画なども多く見かけるようになってきました。
このような試みも、心理的ハードルを下げる物になります。

「和楽器もしもソングプロジェクト」は試みの中でも、かなり極端な例だと思っています。
王道があれば、極端な道も作ることで、存在できる可能性の幅がかなり増えます。

良く聴くJ-POPかなと思ったら不意に歌詞に出てくる尺八や箏のワード。
減少の一途を生み出す原因となる「知っている」を改編するのですから、これくらい変わったも極端な世界観を作って行きます。

ということで、今日の「和楽器もしもソング」お聴きください。
それなりに聴きやすい仕上がりになっていると思います。難易度は高くないかと思います。

 

次回は、このふざけた大真面目な狙いによる効果をそれらしくお話ししたいと思います。
その通りになれば面白いですが、まあそのとおりになどなりませんがね。

ではごきげんよう。

 

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