音楽を伝えるめに必要なこと。僕の考え、その1

昨日のブログの中で、

古典をしっかりやっていないから、あの人の現代曲は、たいしたことない。
今風の音楽をやっているだけで、古典がベースにないから、軽い。

という言葉を書いていました。
こんな言葉の中には信憑性がないと。

 

このことについて少し突っ込んで書いてみます。

 

では、まず逆を考えてみます。

 

古典をしっかりやっているから、あの人の現代曲は、すばらしい。
今風の音楽をやっているのに、古典がベースにあるから、重みがある。

 

ということになるます。

イヤー凄くもっともらしい。

もっともらしいからこそ、この最もらしさに騙される人は本当におおいでしょう。
とらわれて、足かせになってしまう。

 

さて、これ、古典をやっているということがすべての理由でしょうか。

古典の演奏をしっかり練習して、人に伝えられるような演奏をできる人の、現代曲の演奏は確かに深みがあると思います。
古典という人に伝わりにくい音楽に向き合って、練習し、自分の中で納得のいくまで考え、理解して、他人に伝えようと練習するからです。
時間を超えて、時代を超えて、生活様式や文化様式、すべての違いを超えて、現代の人に伝わる演奏をしなければいけない。

一音一音の音色、その連続による効果をものすごく考えて、それでようやく、人に聞いてもらえる音楽になる。
人を魅了する音楽になる。

幼いころから、そうじゃなくても、自らを置く環境を厳しいものにして、取り組んでいます。
そうなっているから、他のジャンルの音楽を弾いても、深く重いものになります。

でもね、そういう古典を演奏できる人って本当に少ないですから。
一生かけて勉強するものですから。

 

これを、みんなに要求していいでしょうか?
プロだったらまあ必修課題的におもって百歩譲っていいですよ。

僕は違うと思います。
時間が圧倒的に足りません。
古典をしっかりと学ばないと得られない「何らかの違い」という曖昧なもの、のために貴重な時間を使えません。
生徒さんがやりたいこと、やってみたい音楽を一生懸命とりくめるように、演奏できるようにアドバイスするのが一番大事だと僕は思っています。

 

何が大事かというと、

他人に伝えるために、どうしたらいいか、一音一音どんな音にしたら良いか。
楽器と向き合って、音楽と向き合って、人に伝えるということに一生懸命になる。
自分がやりたいと思った音楽、かっこいいと思った音楽を、人に伝えたいと思って一生懸命になる。

そういう時間が必要、ということなんです。
結局はそこの問題になります。

それが達成できれば、音楽の深み、音楽の説得力を得られるものを、古典に限定するのは、少々やりすぎなんじゃないかと思います。

古典を生涯の使命として取り組んでいる方がいます。
その方と比べるのはあまりにも意味がありません。むしろ失礼です。

真剣に、懸命に取り組んでいるものが、古典じゃないからと、言う理由で、いつまでも、いつまでも、古典を勉強しないから、古典をやってないから、とマウントをとろうとするのがみっともない。
古典を一生懸命やっているひとにも、そんな風にいうから、もっとたちが悪い。

 

話がめちゃくちゃ長くなりそうなので、今日はここまでにします。
続きは、また明日。

 

 

ではごきげんよう。

 

 

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