「いい歳した大人にもなって、マンガなんか読んで、、、、」
「いい歳した大人にもなって、アニメなんか見て、、、」
「いい歳した大人にもなって、ゲームなんかして、、、、」
まあ、いろいろな言葉がありますよね。
こういったことに関して似た言葉って一杯あるんですよ。
自分の価値感でこんな風に人のことをいわない方がいいですよ。
特に若い世代に対して。
その当時、その年代の自分が経験していないこと、
今の自分が経験していないこと、
自分が経験していないから、それを否定したくなる。
そういった理由で言葉がでてきていませんか?
僕はね。
いい歳した大人ですが、マンガも読むし、アニメも見るし、ゲームもします。
それは、子どものころからそうだからです。
それがたのしかったり、それが好きだったり、それが当たり前だから。
大人になった、年をとったから、といって、別にそれを辞める理由にはなりません。
僕が子どものころは、マンガを読む大人は少なかったと思う。
アニメを見る大人も少なかったし、ゲームをする大人だって少なかったと思う。
それを理由に、僕がその年代になればしないものになるのかと。
僕が見ていたそのときの、その年代の大人というのは、マンガ、アニメ、ゲームをしないで育っているわけです。
子どものころに読んでいない、遊んでいない、していない。
だから、大人になってもしない。
それだけ。
もしかすると、その世代でも、マンガ読んだり、アニメ見たり、ゲームをしていた人もいるでしょう。
でも、その上の世代はもっと否定的でしょう。
そういった価値感、圧力が当たり前とおもってしまったり、そうしたかった自分の心を押し殺したかも知れない。
年齢が上の方を見ていくと、ある世代を境目に、マンガを読まない世代もあり、アニメを見ない世代もあり、ゲームで遊ばない世代が存在するわけです。
それは、それらが当たり前でなかった時代だから、そういった時代じゃなかったからです。
だからといって、今、それらが存在するマンガ、アニメ、ゲームがある時代を一緒に生きていたら、マンガを読むようになるか、アニメを見るか、ゲームで遊ぶか、、、、
おそらく、そうなる人は少ないでしょう。
否定していた方が自分が安定するし、自分の価値感が揺らがないです。
だから、ブログ冒頭の言葉、
「いい歳した大人にもなって、マンガなんか読んで、、、、」
「いい歳した大人にもなって、アニメなんか見て、、、」
「いい歳した大人にもなって、ゲームなんかして、、、、」
見たいなセリフが出てきてしまうわけです。
自分はそうじゃないから。
時代が違うこと、世代が違うこと、環境が違うことを無視して。
自分がどうだったか、だけが判断基準になってしまっている。
わかりやすく、マンガ、アニメ、ゲームとしましたが、それ以外でも何でも当てはまると思います。
さて例えば、お子さんに対して、進学のアドバイス、就職のアドバイス、どんな感覚でしていますか?
自分が子どもだったときの時代の感覚で、自分が就職活動したときの時代のアドバイスしていませんか?
悩み事の相談に対して、どんな感覚で、どんな価値感で答えていますか?
多くの場合、もうそのアドバイスって通用しないモノなんですよ。
そんな発言を今を生きる人に向けてしていませんか?
今、その場で戦っている人達に任せた方がいいですよ。
こう考えると、それらがいかに的外れかわかりませんかね。
今は、今であること。
10年前、20年前と今は違う。
自分が、20歳だったとき、と今は違うし、10歳だったときと、今は違うんです。
20年前に20代であった自分と、今の20代とは全然違うんです。
それはとても当たり前の事実なのですが、これを冷静に理解出来ている人は少ないです。
長く生きていると、多くのことを知っていることともあります。
でも、新しく学ぶこと、知ること、勉強することは、簡単にやめることもできます。
若い世代が知らないことだって知っているかも知れません。
でも、確実に言えることは、
若い世代が知っていることをまったく知らないことだってある訳です。
でも、これからの人達、次の世代の人達は、僕の経験したことはもう存在する状態で生きていくわけです。
その上で、そこにさらに、僕の知らないこと、知らないモノ、新しいモノも、経験するわけです。
僕は、知らないこと、新しいこと、を放置したままでいいと思いたくないです。
勉強すること、しること、学ぶこと、には終わりはない。
いつの間にか、終わったつもりになって、今までのスキルで、経験で、乗り切れると思ってしまう。
通用するって思ってしまう。
それは違うと。
なるほど、と思うことはたくさんある。
若い人から、次の世代から、次の次の世代から、学ぶこと教えてもらうことはたくさんある。
知らないこと、わからないこと、というのは恐怖につながるのでしょう。
自分を保つために否定したいのだと思う。
そんなことしなくても、自分は自分でいられると思う。
いつかの自分、かつての自分だけが、自分の価値を作っているわけではない。
今の自分が今の自分の価値を作るのだから、学ぶこと、を忘れないように、なるほど、と思う瞬間を多くするような自分でいたいと思います。
では、ごきげんよう。
※今日のごはん写真
どう考えているのか、何を経験したのか、そういったことを聴く、というのがとても大事なスタート地点。
それは、先に行っている人にも、後から来る人にも、同じ。
その上で、自分の考えと照らして考える。
自分の中でもう通り過ぎた話だったり、先にありそうな話だったり、全く視点の違う話だったり。
その上で、自分の目指す先、自分のやりたいことを目指せばいい。
後追いかけたい、ついて行きたい、という意思が明確な人には出来る限り伝えたいと思う。
とはいえ、基本的に、他の人は、他の人の目指す先に進んでいくのだから。
だから、わざわざ出かけて行って、押しかけてご高説垂れ流すなんてもっともみっともない行為なんだよね。
いつかのブログでも書いたけど、関係性のない中でそんなことされても、ただただ、気持ち悪いだけなんだよね。
誰が言うかよりも、何を言っているか、が大事だとされることもあります。
でも、ちがうんだな。
やっぱり、誰が言うか、何を言うか、その両方がともに大事なんだよね。
その人にとって、大事な誰が、どんな関係の誰が言うか。
その上で、どんな内容のことを言うか。
なんだな。
そして、わざわざ、こんなブログの、こんなところまで読んでいただいているみなさまに、本当に感謝です。
ありがとうございます。
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