世代を超えて愛されるというのは、作品のクオリティはもちろん、物凄い地道な継続する努力の結果なんです。

先日、じっくりと、初めて「千と千尋の神隠し」を見ました。

 

ようやく?と思われるかも知れません。

なんとなく、見ていたり、ぼんやり見ていたりしたと思います。

そんなで、知っている気になっていたり。
イッテQ!で繰り広げられるガンバレルーヤのまひるさんの例の奴でなんとなく知っている気になっていたり。
何年か前に新潟大学邦楽部の定期演奏会のアトラクションコーナーで繰り広げられた「千と千尋の神隠し」の寸劇が最高におもしろくてそれで知っている気になっていたり、していました。

どれだけ、ぼんやりなんとなく見ていたかというと、

湯婆婆と銭婆が別人だったと気がつかないくらいのぼんやりレベルだったわけです。

 

2001年の公開、いまから20年前の作品なんですよね。

 

同じジブリのものでも、

となりのトトロは、1988年の作品、

天空の城ラピュタは、1986年の作品

30年以上前の作品です。

 

今の世の中には、伝統だ文化だ、歴史だと、それになりたくてしょうがないモノがたくさんありまして。

50年くらいやったら、そうなりたくなるわけです。

そうしたほうが良さそうだと思えて。
でもね、それくらいの年数がちょうどよくて、それより長くなってしまうと、そのやり方だと厳しくなるのが現実。

うまくいっていない物がほとんどです。

 

伝統、文化、歴史をうまくビジネスに変えていること。

ビジネスとして、成立させないと生きてゆくことが出来ない人達がおおければ多いほど、うまくいきます。

というか、うまくいかせるように頑張るんですよ。

 

でも、だいたいの場合は、うまくいかなくなります。

 

歴史を重ねたから、文化だから、伝統だから、というだけで、生き残ろうとするのって大変なんです。

まあ、無理でしょうね。

うまくいっているような気がする。

でもそれは、貯金を使っているようなもので。

 

貯金を使い果たしてしまって初めてわかるというか。

 

 

ここで、忘れてしまいがちな考え、無視しているんじゃないかなって思うことがあります。

 

受け継がせたいと考えている側、生き残したい人の都合よりも、

もっと重要なのは、

受け継いでゆくの側の、判断、都合です。

 

伝統だから、文化だから、素晴らしいモノだから、伝えていかなければいけない、と伝えたい側が主体になっていたらダメなんですよ。

伝えていきたいな、次に残したいなと、受け継ぐ側が主体にならない以上、それは単なる押しつけなんです。

 

 

次の時代、次の世代の人が主体でなければ成立しないんです。

 

でなければ、縄文土器はずっと使われていて、いまでも使われていないとおかしいです。

縄文土器、弥生土器は今はもう使われていませんよね。

 

もっといいもの、便利なモノがうまれた。

次の時代の人達が、それを伝承する、伝える必要性がなくなったんです。

 

もちろん、最後の縄文土器職人、弥生土器職人は、伝承したい、残したい、伝えたいと頑張ったと思います。

でも、必要ない、と判断されたんですね。

 

 

残したい側の都合では、伝承されないんです。

 

いい物はいいのなら、伝統だ、文化だ、歴史だ、すばらしいものだと、声高に叫ばなくとも、つねに求められるんです。

だから、残る。

 

でも、そうなっていないということは、判断されているんです。

 

その価値はない、って強烈に判断されているんです。

 

そう判断されたものを、いまさら、残したい側の価値感で押しつけたって後の祭りだし、意固地になるし、惨めなだけだと思います。

 

どうするか、かんがえて、努力し続けないといけないんです。

動かないと意味がないんです。

 

様々な形で、行動している人、動いている人に、外野からあれこれ言う人ってのは邪魔していると自覚した方がいいです。

そして、そんな和楽器にありがたいことに興味を持ってくれた人に、いらぬお世話をしにいくなんて、判断された価値感を押しつけにいくなんて気が狂っているとしか思えないです。

 

 

 

さて、となりのトトロは、30年前の作品です。

こんなことから、ジブリ作品、もう10年後とかになったら、もしかして、伝統、と言い出す人もいてもおかしくないかもしれません。

伝統ビジネスを展開しようとする人が出てくるかも知れません。
(絶対にないとおもいますので、あくまでたとえばなしですからね。)

 

文化だ、歴史だ、守らなければいけない、伝承しなければいけないモノだ、と言う人が出てくるかも知れません。

 

そうなったら、どうでしょうか?

 

残したい人の都合が優先されすぎていませんか?

 

残す側の都合を無視して、その作品は残るでしょうか。

 

その時代でも、人の心に響けば、刺されば、愛されれば、残そうとしなくても残ります。

30年前に公開されて人気のあったアニメだって、映画だってあります。

当時ヒットした映画でも、今も愛されているモノってあるでしょうか?
なかなかないのではないでしょうか?

しかも世代を超えて、好き、ファン、たのしみ、といった状態になっているものはあるでしょうか?

 

続いているモノには、理由があるんです。

 

 

 

ちょっと長くなりそうなので、今日はここまでにしたいと思います。

 

 

 

では、ごきげんよう。

 

 

※今日のごはん写真

「どうして、この人達は、マスクをしていないの?」といった言葉が、トトロやラピュタ、千と千尋をみて出てきたらいよいよかも知れませんね。
刺さらない、届かない、という時代になると思います。

でも、きっと毎年毎年、その時代、そのときに刺さる作品をジブリは世に送り出すとおもいます。
そういった連続が、伝統、歴史、文化、といったお題目に頼らない、作品のクオリティ、ブランドイメージが人を引き寄せ続けるのだと思います。

あ、このブログは、ジブリ作品に関して解説しているわけではないです。
個人的な感想です。

本当に言いたいことは、和楽器、ってどんな段階にあるか、という僕の考えを書きたいだけなので、そこは読み間違えないでください。
どうぞ、よろしくお願いします。

 

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