あえて「入れない」という選択。――僕がもしもソングで仕掛ける、引き算の戦略。

昨日お話しした「和楽器もしもソングプロジェクト」。

「J-POPの歌詞に和楽器の専門用語を混ぜる」というこの実験において、僕が徹底している「一つのこだわり」があります。

 

前回のブログの最後に書いたこと、
和楽器もしもソングを聴いてなにか思うこと、感じることありませんか???って

 

 

「和楽器の歌なんだから、音を入れればいいのに」

 

 

と思いませんでしたか?

実はそこなんです。
あえて和楽器の音色を一切入れない、ということです。

きっと、普通に考えれば、和楽器の音が入った方が良い、どこかに入れれば良い、と思うでしょう。
もちろん、本物の音を入れるほうが説明としては「親切」ですし、一見まとまりも良くなります。

でも、もしそこに本物の音が入っていたら…… きっと皆さんは「何も思わずに」聞き流してしまうはずなんです。

「入れれば良いのに」という感想も思わない可能性すらあるわけです。

 

また、もう一方の方で言えば、和楽器の音が鳴らない方が、うまくJ-POPの擬態できるんです。
そして、歌詞にだけ認知的不協和が生まれる。
ここで和楽器の音が鳴ってしまうと、認知的不協和は解消されてしまうので、なにも残らないのです。

 

「正解」を出すと、脳は止まる

音がJ-POPで、歌詞もJ-POPなら、それはただの歌です。
音が和楽器で、歌詞も和楽器なら、それは「和楽器の紹介ソング」として完結してしまいます。

「ああ、そういうものね」と脳が納得して、ラベルを貼って終わってしまう。
そこに「問い」や「引っかかり」は生まれません。

僕が狙っているのは、そこではないんです。
サウンドは徹底的に現代的なJ-POP。なのに、歌われているのは「尺八」や「箏」の専門用語。
この「耳馴染みの良さ」と「言葉の違和感」のアンバランスさこそが、このプロジェクトの肝です。

 

違和感という名の「余白」

本物の音が入っていないからこそ、聴いている人の頭の中には「……ん?」というバグが起こります。
そしてそのバグの先に、「もしここに本物の尺八が入ったら、どんな響きになるんだろう?」という、聴き手の想像力が働く「余白」が生まれるんです。

「入っていたら、何も思わない」

「入っていないからこそ、気になってしまう」

すべてを提示しないことで、相手の中に好奇心を育てる。
これは演奏においても、教え方においても、僕が大切にしている「引き算」の考え方です。
(※教えるのはしゃべりすぎていつも失敗しているなと思ってしまうのですが)

濃すぎる料理は、胃もたれする
「和楽器の言葉」に「和楽器の音色」を重ねるのは、いわば味の濃いものに濃いものを足すようなもの。
それでは情報が多すぎて、和楽器に馴染みのない人にとっては「拒否反応」や「胃もたれ」に繋がってしまいます。

言葉だけでも十分すぎるスパイスです。
そのスパイスを、いかに美味しく、さりげなく日常の食卓(音楽)に混ぜ込めるか。
知らないうちに、そのスパイスがないとなぜか物足りない、、、もうスパイスの虜!!なんて。

「入っていないこと」に意味がある。
そんな僕なりの「大真面目な引き算の戦略」、ぜひMVを聴きながら感じてみてください。

 

さて、今日のMVはちょっと難易度が高めです。 設定は……「もしもの世界の、もしもの映画の主題歌」。

あなたに届いた謎の招待状。一攫千金を手にするチャンス。
集まった挑戦者たちが挑むのは、生き残りをかけた「尺八デスゲーム」!

尺八の音が出れば生き残れない。

しかし、音が出せなければ大金も自由も手に入らない。
挑戦者たちの運命は、一本の尺八にかけられた――。

そんな架空の映画の主題歌だと思って、聴いてみてください。

さて、次回は。 もしあなたがこの「尺八デスゲーム」に巻き込まれてしまったときのために……
「尺八の話」をします。

では、ごきげんよう。

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