和楽器しかなかった日本に西洋音楽・西洋楽器がどうやって普及したか。

さて、うろ覚えの知識で語ります

 

ときをさかのぼりまして、江戸時代。

江戸時代には一般的には、箏、三味線、尺八などのいわゆる日本の楽器しかございませんでした。

 

それが今では、ピアノ、ヴァイオリン、フルート、ギター、などなど、いろいろな西洋楽器が奏でられております。

 

でも、そんな楽器でも、日本に初めてやってきた瞬間、ってのが存在するんですよ。
(もちろん、和楽器も海を渡ってやってきてますから、その瞬間があります。でもそんなときに日本に楽器って概念はあったのでしょうか?そして鎖国という長い時間もあります。)

 

もちろん、江戸時代にも西洋、いわゆるクラッシック音楽というスタイルでの音楽が見られる機会があったそうです。
(ソースは何かの本で読んだ記憶w)

コンサートとかそういった類ではなく「見世物」といったちょっと変わったもの、変わったもの見たさに人が集まっておりました。

そこで聴く音楽は、江戸時代の方々には、縁のない音程感、音階。
江戸時代の人にとっては、ちょっと音痴に聞こえる歌を、少しクスクス笑いながら聴いていたそうです。

明治になり文明開化した後は、外国の文化、文明の高さにおどろき、日本の音楽家は積極的に海外の音楽を勉強したそうです。
海外の音楽を学ぶ音楽家、日本の音楽を守る音楽家、このあたりからも二つに分かれていったのかもしれないです。

 

海外に音楽を学びに行った音楽家は、西洋の音程感がなかなか身につかないことを苦労されたそうです。
その音程感が手に入らない自分を恥じたという話もありました。

日本独自の音程感、音階に悩まされたそうです。

日本が文化的に遅れていて、早く追いつこう、早く追いつかねばという強い意志をもって学ばれました。
(良い、悪いの価値基準ではありませんが、知らないもの、素晴らしいと思うものを学ぶ姿勢がいいですよね。)

 

西洋音楽の普及がおこなわれるのですが、その音楽は当時の日本人にはどうしても耳になじまないのです。

それは、音程感、音階が違うからです。

 

そんな中、西洋の楽器がどうやって普及してゆくのでしょうか。

 

明治18年の学校教育現場では、日本の伝統音楽とはまったく異質な近代西洋音楽を取り入れてゆきます。
それでも、今まで聞いている音楽とは全然違うので、違和感、酷評。

ヨナ抜き音階の唱歌のスタイルが確立したことで、西洋の音楽、西洋の音階は浸透していきました。
(日本の伝統的音階が五音階でつくられているから、受け入れやすかったそうです。)

 

明治37,8年ごろ、六段のしらべ、千鳥の曲、こういった曲を箏と一緒にヴァイオリンで演奏することが流行ったのです。(宮城道雄先生が語ってらっしゃったそうです。)
実際に、胡弓、尺八のバイオリン譜ってもの存在してる。

西洋楽器のひたむきな努力、工夫、試みを、当時の学者が「幼稚で低級な趣味」といって非難していましたが、楽器としての違和感を聴きなれた音楽を演奏することで、少しでも楽器への理解、音楽への理解の役に立ったとおもいます。

大正期に入って西洋音楽の理解が向上して、こういったものは姿を消していったといわれています。

 

現代を生きる人にとって、ピアノ、ヴァイオリン、ギターなどが存在しない世界なんて想像もつかないですよね。
西洋音楽が全く理解されない時代があったなんて。

 

 

といった感じですかね。

こういった歴史から学ぶことって本当に多いと思います。
先人の知恵、学び、先人の挑戦、失敗、いろいろな要素をしり、それらとは違うアプローチ、ちがった発想で取り組めば、違った結果も得られるに違いないと思っています。

 

ではごきげんよう。


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