和楽器でやる意味があるとか、ないとか、決めるのは自分だから!

Youtubeにポピュラー曲のカバー動画を良くあげております。

クリスマス時期なので、画像は、クリスマスの曲を和楽器でカバーしております。

ぜひYouTubeにておききください。

「いさなミュージックチャンネル」
https://www.youtube.com/user/isanamusic

 

こういう演奏にはいろいろな意見がつきまといます。
僕もいろいろな思いを持ってやっております。

 

それは、

 

自分がたのしいからやる!

 

っていう複雑な思いです。

 

(゚ω゚)

 

どこが複雑やねん。

 

 

さて、「やる意味があるない問題」についてですが、結論いいます。

 

目的や、それを達成する手段は、人それぞれだから自分の目的や手段を他人に押しつけるのは違う。

 

「やる意味あるかないか問題」ではなくて「自分と他人の区別がついていない人が問題」だってことです。

 

では、ごきげ、、、、、、

 

 

もうちょっとぐだぐだ書かせてください。
すみません、お付き合いいただきありがとうございます。

 

 

そもそも、僕は和楽器のために作られた曲、古典も、本曲も、現代曲も何もかも、「純粋に演奏して楽しい!」という曲を楽しむ気持ちと別の思いを常に持っていました。

それは、「他人が作った曲、他人が他人のために作った曲を演奏しても、そこに真実は存在しないから、僕は僕の作った曲を演奏することで尺八を表現することができる!」っていう思いも抱えていました。

もちろん、今もです。

なので、薫風之音では、自作自演、自分たちで作曲した曲を思いを込めて演奏する、っていうのを大事にしています。

 

という考えなら、僕は、ほとんどの和楽器、邦楽の愛好家のみなさん、プロの活動すら「意味がない!」といって叩きに行かねばなりません。

でも、行きません。

意味があるか、ないかは、他人が決めることではない、からです。

自分は、こう思っている。だけです。

で、自分で作曲した曲、自分のために書かれた曲以外を演奏していることを意味がないとも思っていません。

 

目的も手段も違いますから。

ただ、違うだけです。

自分と他人だから、目的と手段の区別もわかりやすいです。

 

でもね、間違えてはいけないのは、自分の場合においても、「目的」と「手段」の関係は区別しなくてはいけないということです。

 

ある「目的」を達成するための「手段」は、別の「目的」をするための「手段」になりますか?

 

ってことです。

「意味あるかないないか問題」は、「目的を達成する手段としてよいかどうか問題」だったんですね。

 

少し話が概念的になってきましたので、とりあえず今日はここまでにしておきます。

 

ではごきげんよう。


ワンポイントアドバイス、文字では限度もあります。
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