新潟市のあの団体の話に1つの決着がついたので僕の考え。

新潟市には「Noism」(ノイズム)という、公共ホール専属の舞踏団があります。

オフィシャルサイトより。https://noism.jp/

りゅーとぴあ 新潟市民芸術文化会館を拠点に活動する、日本初の公共劇場専属舞踊団。芸術監督は金森穣(りゅーとぴあ舞踊部門芸術監督)。プロフェッショナルカンパニーNoism1(ノイズムワン)と研修生カンパニーNoism2(ノイズムツー)の2つの集団があり、2004年の設立以来、国内はもちろん世界各地からオーディションで選ばれた舞踊家が新潟に移住し、年間を通して活動している。Noism1は、りゅーとぴあで創った作品を国内外で上演し、新潟から世界に向けてグローバルに活動。Noism2は、プロをめざす若手舞踊家が所属し、りゅーとぴあでの定期公演の他、新潟市内で開催されるイベント等、劇場外でのパフォーマンスも積極的に行い、地域に根差した活動を続けている。

ということです。

で、この団体の契約更新について、新潟市内において話題になったとかならないとか。

この8月末で1つの結論がでて、2022年まで契約を更新することになりました。
活動に5000万円の税金が投入されているという、刺激の強い部分が取り出されて、財政難の新潟市において論議されました。

https://www.niigata-nippo.co.jp/news/local/20190828491349.html

 

で、僕なりに、文化や芸術に関わるものとして、また、市や県などの依頼で演奏することもあるので、思うところがあります。
なので、つらつらと書かせていただきます。

僕は専門家でもないし、詳しい話を知っているわけではないです。
ただ、いろいろ、おもうところがあって、自分の考えをつらつらと書かせていただきます。

事実と違うこともあるかもしれません。
教えていただけるとうれしいです。不勉強で好き勝手いっております。大変申し訳ありません。

尺八に関する話題でなくすみません。

 

 

高い芸術性を伴うものは、商業的な目的とはある程度距離を置いて行われるため、高い収入や収益を得ることは難しい。(※ブログ公開後文章に間違いがあったため修正しました。)

なので、税金や補助金などで支える必要があります。

最先端であったり、高度な芸術や文化は、支える人がいるから成立します。

 

 

これは、ブログでも僕は一貫している姿勢です。

で、僕自身の活動としては、「じゃあ、僕は必要とされるものを提供できるように努力するぞ!」というスタンスで頑張っています。
これらは、2つとも必要で、裾野をひろげるもの、頂点を高めるもの、それぞれが必要だからです。

 

じゃあ、「一般に必要ないと判断されているものに、税金や補助金を注ぐ必要があるか?」という声だって出てきます。

 

その問いに対して、「文化的価値がある、芸術的価値がある、だから、税金や補助金でささえるのです。」という答えは不適切です。

論点が違います。

 

あなたにとって必要ないものは、すべてに必要のないものなのか、全く無関係なのか、というところまで考えなければいけません。

 

なぜ、最先端の、高い芸術性を有する団体を多くの税金・補助金で支えるか?

 

芸術を守るため、では話が通じない人に、はその人にとってプラスがあるのか、関係ないところでその人に価値があるものになっているのか、というところに気がついてもらうことだとおもいます。

芸術に理解をしてもらおう、と思ってはいけません。

 

市民の生活の質、の向上を優先するのが普通だと思います。
じゃあ、文化への支援が間接的に生活の質が向上する研究結果がでていることも説明した方が良い。
もっといえば、生活の質が向上する政策だって同時におこなわなければいけない。

それだけ、論点が違うし、価値眼だって違う。

永遠に一部への受益者しか存在しないものって思われてしまう。
(最終的には政治が誠実であることを示してゆくしかないのですが。)

 

単純に投資とリターンの話をしても良いかもしれません。

例えば、5000万円の税金を投入することで、それ以上のお金を生み出し、それ以上の補助金を国の財源からひっぱてこれる理由になる。
5000万を使うことをやめたら、失うものの方が多いことを理解してもらわなければいけない。

使うことをやめた5000万が生活の質を向上される政策に回るとは限らない。
予算が減っただけで、使い道はどうなるかみえない。
国からもお金を取ってこれない。
地方のホールとしての国内的な価値・評価も下がる。

単純な話ではないということなんです。

 

ほかには、新潟市という都市の存在を多くの人に知ってもらえている、国際的に有名になっている、いわゆるシティプロモーションとして相当の価値があるのならば、その事実を応援者・支援者、市民、納税者が実感できるようにする。
外へのアピールだけでなく、中に向けてアピールしないとつたわりませんよね。

 

もっと別のことでもいい。

芸術性の高い団体が素晴らしい。誇りだ。というのは、関係ない人にとって意味がありません。

関係のない、何の利益もない、得もないのに、文化、芸術の発展、飛躍、発信のために、支えている市民、納税者が素晴らしい!誇らしい!と言うべきなのです。

団体がすばらしい、誇りだ、なんていってもピンときませんよ。
その団体、文化をささえている、芸術をささえている、一人一人の市民が、納税者が素晴らしいと言うべきです。

 

問題の渦中、思慮のない自称応援者の人はこんな言葉をつかいます。

「素晴らしい芸術性を持つ団体への契約を破棄しようとする新潟市の人たちの感性が知れない。」

「芸術性を理解出来ない、価値の分からない人間が騒いでいる。」

こんな言葉をいって意味があるでしょうか?

高い芸術性のあるものをとことん追求できる、商業ベースをむしして、高い感性と研ぎ澄まされた芸術センスを追求できる環境を作るための税金の一部を納税している市民、納税者は感謝こそされ、否定する言葉を言われるなんてありえません。こんな考え方、応援者とはいえませんよ。

団体にとっても、純粋な応援者にとっても良い迷惑だと思います。

 

名もなき市民が、名もなき納税者が、支えているのです。

それこそが、素晴らしく、誇りなんです。

「新潟市民のみなさんてすごいですよね。自分にはあまり関係ない、興味のない分野かも知れない、芸術性の高いコンテンポラリーダンスの団体に税金をつかっている。最先端の舞台芸術の成長だけでなく、日本という国そのもの文化の成長や発展を国際的にも支えるていることなんですよ。すごいですね。すばらしいですね!」って。

こんな風に言われて、悪い気になる人はあまりいないと思いますよ。

なるほど、結構凄いことに協力できているんだなって思ってもらった方が良いじゃないですか。

文化を創ること、育てることに寛容な、市民が素晴らしく誇りなんですよ。

 

自分たちのチカラでは、たどり着けないところ、見られない世界に連れて行ってくれる人たちを応援する。支える。

それこそが素晴らしいことなのです。

 

団体が素晴らしい、芸術が素晴らしい、素晴らしい、素晴らしい、誇りだ、誇りだ!

そんな言い方で、関心を持っていない人たちが感心持ちますか?
ポジティブな感情で関心もって支援してくれますかね?

素晴らしいと思う矛先をかえましょう。
いや、ホントそう思うけど、これおかしい考えかな?

 

 

市民への認知をもとめる、市民への理解をもとめる、このやり方も間違えてしまうとかなりヤバいです。

僕は、芸術の内容を理解してもらうのではなく、存在や価値の認知、理解を考えなければいけない。と思います。

 

わかりやすい活動、アウトリーチとか、なんとか教室とかそんなん意味ないです。
絶対にやらない方が良い。

高潔な芸術への高見を目指す目に曇りがかかってしまいそうで。

 

じゃあどうするか。

受賞、賞歴、国際的評価、そういったものを獲得する。

今得ている世界的評価、というものがもっと明確に、そして日本中の各種メディアに取り上げられるような、そんなめざましい活躍、めざましい評価を獲得しなければ、一般には浸透しません。
だから裾野を広げる活動、還元する活動みたいな、中途半端なものでなく、先端を、頂点をとがらせて、とがらせて、なにか「賞」をとって欲しい。

誰にでもわかることで、誰にでも分かるもので、その価値を知ってもらう。
それが一番の特効薬です。

そんな団体の活動に、自分たちが納税している税金の一部が使われている、なんてうれしいとおもう人はいると思います。
よそから、すごいね、すごいね、と我が子とのように言われることが、支援者応援者を満足させます。

芸術の中身を理解して価値を知ってもらうのはとても難しいのです。

 

誰にでもわかること、素人でもわかること、池上彰さんがそのすごさをテレビで解説してしまうくらいのことで、理解、認知を得てゆくことだとおもいます。

 

簡単に言うと「結果を出す。」ってことなんだと思います。

その結果がわかりにくかったり、理解されにくいものだとダメなんです。

 

商売だと売り上げ、研究者だとノーベル賞、歌手だと紅白に出る、漫才師だとM1優勝、コントだとキングオブコント、落語家だと笑点メンバーになる。
凄くベタな発想ですみません、ですが、そういうことです。

その世界だと有名、その世界だと活躍している、じゃ、ぜんぜんダメなんです。
価値も、実力も、だれにも伝わらないんです。

悲しいけど、大衆に認められるってそういった、わかりやすい価値観で評価されることが凄く大事なんだと身にしみます。

 

芸術を極めて行く、高めてゆく、だけでは、ダメなんだと思います。

責任を負って、結果をだす。

しかもその結果は、支援者・応援者に分かりやすいものでないといけない。
もしくは理解される形でないといけない。

ということが必要なのだと思います。

誰もがよその人たちに誇れる、国際的賞、世界的賞を獲得して欲しい。

自分の興味のある部分にしかアンテナはありません。
他人の興味に関しては無関心です。

それすらぶち破る、めざましテレビやスッキリ、モーニングショー、ビビットで特集され、週刊誌で話題になり、ヤフーニュースに取り上げられて、Twitterのトレンドにのって、というくらいの結果。
すんごく難しいかと思うけど、僕はそれが一番の理解、浸透、そして還元だと思う。

 

 

予算や資金は、ただただダラダラと与えられるものではない。

高い芸術には仕方がない、高みを目指すには、実現するには仕方ない、とか思考停止の都合の良いを理由つけちゃダメだと思います。

 

そこには、期待や、望み、希望、がある。

無償の奉仕、無償の資金、なんてない。

 

日曜ドラマの「ノーサイド・ゲーム」をみて凄く思います。

 

 

僕自身の、自分の活動についても、自分の環境についても凄く考えます。

 

 

僕は個人的に、ノイズムは応援しています。

頑張って欲しいと思います。

むずかしいとは思いますが、多くの人に理解されるような結果を出して欲しいと思います。

 

全然立場も身分も何もかも違いますが、自分自身の活動もそうだとおもっているので。

 

 

ただ、1つ僕がちょっと配慮して欲しいなってことが実はあります。

スタジオBの前の共有スペースで、ストレッチ、リラックスされるのは、百歩譲って、千歩譲って、マンボ踊って仕方ないと思います。

が、

ごく希に、上半身裸でうろつく男性ダンサーや、鉄骨にタオルや、シャツなどを掛けて干すのは、本当に勘弁して欲しいです。

大人だけでなく、子どもも利用します。
日本だから大事にならないかもしれませんがその団体とは関係ない子どもも利用する場所で、上半身裸でうろついている、これヤバいですよ。

ダンサーの鍛えられた体だからいい!むしろ見たい!とかの自称応援者の言葉は事態を悪化させるので黙っていてくださいね。

 

あのあたり、近づきたくなくなる。

あの奥にも練習室あります。
共有の譜面台などもおいてあります。

異様な雰囲気で正直困ります。

ふとしたちょっとした姿が、何気ないものでも、当事者は意図しなくとも横柄、横暴、傲慢、我が物顔に見えて敵を作ります。
(僕自身もそんな経験があります。)

それだけ、です。

それだけ、配慮してもらえたら芸術家として、もっと、凄いな、立派だな、って思います。

 

 

応援している、支援している、納税している、市民が、自分自身のことを誇りだと思えるような存在になって欲しいです。
頂点を引き上げて、高い芸術性をとにかくストイックに求めていって欲しい。

僕だってその結果がどうなるかみたい、とても気になる。
がんばれ!

 

レベルも立場も、程度も、何もかも違いますが、オレも頑張る!!

 

 

ではごきげんよう。

 

 

 

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