名曲が名曲として今も受け入れられている理由とそろそろヤバい理由

尺八ワンポイント動画の編集が間に合わなかったので、今日も和楽器の今と未来のために僕が考えていることの話を書きます。

 

あれ?

 

これまで、ダラダラと僕の愚痴のように書いていた文章は一体何だったのかというと、そういうことです。
尺八で生きる。と決めたときに、どうやって生きていくか、どうやって楽器と共にあるか、を考えて、尺八演奏家を職業とするために考えたことです。

「和楽器の今と未来のために」と言いましたが、もし趣味ではなく、これから演奏家を目指す人の発想のヒントにもなればとも思っています。

そして、趣味として楽しむ人も、仲間を増やしたい、人に興味を持ってもらいたい、と願うならば、頭の片隅においていただけるとうれしいとも思います。

 

前回のブログをお読みじゃない方は読んでからの方が話が分かるとおもいますので、どうぞお読み下さい。

オワコンにならない努力をし続ける人の願いの根幹は同じはずなのだが。

教養、たしなみであったものが、ステージで演奏され、鑑賞するものになった。

ものあり方、土台とするもの、の転換期で、生き残るために過去の名人たちは努力をたくさんされましたし、高い志をもって挑戦されてきました。
(批評家、評論家、などの嘲笑にも似た揶揄のようなものとも戦いながら、、、と僕は勝手に想像しています。)

 

愛好家のためにも、手習いのもののためにも、そして鑑賞のためにもそれぞれの役割をもった数多くの名曲を生み出された、宮城道雄さんは、こんな言葉を述べていらっしゃいます。

「1つは古楽を復活させて、これに現代的な色彩を加えることと、今1つは、洋楽の形式においてどこまでも邦楽発展の境地を作り出すこと」

この考え、この思考、です。
この言葉の中に僕はとても流動的な部分の存在を感じます。

「現代的な色彩」

「発展の境地」

この2つです。

現代的な色彩は、その時代、その価値感、その流行で、変ってゆくでしょう。
それを加えることによってよって、古楽が、その時代にも共感出来るものとして受け入れられることを目指したのだと僕は解釈します。

古楽、古くあるから素晴らしいものだ、ということではなく、素晴らしいものではあるが、現代的な色彩が必要だということをおっしゃっていると思います。

そして、明治時代からずっと洋楽の形式に自然と慣れ親しんでゆく多くの人々や聴衆にも届くように、「洋楽の形式においてどこまでも邦楽発展の境地を作り出す」と考えられたのだと。

ある1つの時代に固定するのではなく、その時代、その価値感、その流行を物凄く、意識されているのだと僕は感じました。

当時の状況において、その考えに基づいて生まれた名曲たちは、何十年も時代の流れの中で名曲として力を発揮してきました。
だから、宮城道雄さん名曲は、今日まで多くの方が演奏し、聴いてこられたのだと思います。

 

でも、そろそろヤバいです。

 

ヤバい理由、わかりませんか?

ちゃんとここまで読んできて、もしあなたが、ピンときたのなら、友達になりたいのでメール下さい(笑。

 

理由は単純です。

 

当時の聴衆の感覚に基づいて作られているからこそです。
ある1つの時代に固定するのではなく、その時代、その価値感、その流行を物凄く、意識されているからです。

 

単純に考えればそうでしょう。

「未来永劫に共感出来る音楽をつくる」という夢ごこちで音楽を作ったわけでなく、聴衆を意識して音楽を作っていらっしゃった訳ですから。

 

「教養・たしなみに支えられていた音楽」が「聴衆の音楽観・喜び・楽しみを意識した音楽」に変化しています。
聴衆を意識して作られた音楽だといっても、その聴衆の教養、たしなみ、生活様式、もっといえば、好み、の方が根底にあって大きな影響を与えています。

明治、大正、昭和、平成を経て令和となってしまった今、その音楽たちを支えてきた、教養、たしなみ、生活様式、好み、は大きく変化して当然です。

過去よりも、激しく、早いスピードで変化します。

 

その時代の前提条件により、喜び、楽しみ、としてワクワク聴けていた音楽も、

時代の変化により、知識・教養・たしなみ、になってしまった。

そんな音楽を今の聴衆が聴いても、喜び、楽しみ、ワクワクには慣れません。

 

じゃあ、今どうして行くべきか、考えればすぐに分かります。

お正月に以外に流れてくる、聞こえてくる和楽器の音楽に未来があります。
日常の中にある、現代の価値感の中で響いている、届いている音楽に未来があります。

 

 

和楽器の音色を聴くのは、お正月だけとなってしまいました。

NHKの番組も邦楽専門ではなく、音楽だけでなく、能、歌舞伎、舞踊、着物、などあらゆる日本文化をまとめた番組になりました。

それは、当時のままだと、聴衆の興味は薄れて行っているからです。
まだ大丈夫、まだ大丈夫、と思っていたから、その現実を知ったときに急激に変化するしかないのです。

 

 

お正月に流れる和楽器の音に対しての印象ですら、ここ数年で大きく変化していますよ。

 

「正月に聴くと、正月らしくてイイね。」

 

から、

 

「またこれかよ、もう聴きたくない。」

 

という感情になってしまっている。

 

現実を見るのは、とても怖いです。

でも、絶望することができなければ、這い上がってゆくこと、本気になること、真剣になること、かなえることはできません。

 

いい加減、夢を見るのをやめて、絶望しましょう。

現実と向き合って、どうやって、オワコンにしないか考えましょう。

 

みんなでしましょう、とか、みんなそうしましょう、って話ではないです。
邦楽の愛好家の人すべてに向けて発信している言葉ではありません。

 

ごく一部の人、危機感を持っている人、疑問を持っている人、モヤモヤしている人、なんとかしたい人、僕の話になにかヒントを見つけた人。

夢に絶望した人に向けて書きました。

 

古いものを、伝統を伝えたい、共感していもらいたいなら、そのアプローチを。
新しいもの、現代の人にも響く、共感してもらいたいなら、そのアプローチを。

 

どちらもスタートは同じ、やり方も同じ、ゴールも同じ、手段と手法が違うだけです。
登山だとしても、上るルートは複数あります。そして下りるルートだって複数あります。

頂はとても高いです。

ならば、裾野は広くなければいけません。
というか、頂が高いなら、裾野は広がっていて当然です。

 

考えましょう。

やりましょう。

奏でましょう。

 

それだけです。

 

僕は新潟から発信しています。

 

 

 

では、ごきげんよう。

 

 

※今日のごはん写真
大阪でたべました鯨の刺身です。
共食いしました。赤身はもう完全にお肉ですね。おいしかったです。
鯨も水中で活動する生き物です。水中の生き物の肉は人間の体温より低い状態で常にいるので、人間の体内では固まらず、排出されます。なのでカロリーゼロになります。

 

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