邦楽界のマウントの取り方が変化していて最高に笑える。

古典を勉強していないから!

 

問題解決をするには、具体的な分析をして、仮説を立てて、具体的な解決方法よって、問題は解決すると僕は思っています。

 

めんどくさがりの人だったり、

思考力の弱い人だったり、

問題解決をする気がない人だったり、

問題解決しないことを許したい人だったり、

問題解決できない自分を許したい人だったり、

 

まあ、いろんな人が、正常な問題解決のための方法をとりません。

 

 

大体の場合は、

 

〇〇のせい。

 

にしてしまいます。

 

そうすれば、正常に考えることもしなくても、もっともらしくできます。

 

で、たまに見かけるのですが、〇〇のせい、というような言葉をつかって、マウントをとってくる人もいます。

 

自分のポジションを守るときにも使えますし、

自分より成果を出している人を簡単に否定するときにも使えるし、

自分の問題解決能力が低いときにも使えます。

 

邦楽界でこれまでよく使われていたものは、

 

古典を勉強していないから。

 

という、スーパーなんでも役に立つワードです。

 

演奏者がちょっとうまく演奏できない場面で、

音色がいまいち決まらない場面で、

華麗に華やかに演奏する人を捕まえて、

自分の指導で解決できない問題と出会った場面で、

 

もう、オールマイティに使えます。

非常に便利です。

 

そして、この言葉で、洗脳されてしまっている人もたくさんいます。

何か一つのことが全ての問題を解決すると考えるのはとっても楽ですから。

 

結局それは、

演奏が下手ですね、上手になってください。

といっているのと全く同じです。

 

問題は一つ一つあって、それらを分析して、解決するための仮説をたてて、いろいろ試すことが大事です。

 

まあ、その結果、古典がすべてを解決してくれると、導きだしたのかもしれませんが、それでは、時間がかかりすぎます。

昔はそれでよかったのかもしれません。

時代を経て、経験を経て、あらゆる人の知識が集積されたら、普通は効率が上がるはずです。

いつまで経っても、そうならない、ということはとっても恥ずかしいことです。

メソッドが進歩していない、指導方法が一切ブラッシュアップされていないわけですから。

いまもそんなこといっていたら、誰も真剣に取り組みません。
そんな時間のかかるもの誰もしません。

 

具体的に、明確に、論理的に、問題は解決できます。

 

僕がやばいと思っているそれっぽい言葉

・基礎ができていないのは古典をしっかり勉強していないからだ。

・古典を勉強していない人の演奏は何かが違う。

 

こんな感じのやつです。

これを堂々という人の気が知れません。

 

基礎は基礎です。

古典は基礎ではありません。

基礎というしっかりとした土台、これもしっかり基礎として学ぶべきもので、そのしっかりとした土台がなければ、古典は演奏できません。

古典を基礎だと言ってしまう人は、ものすごい勘違いをしていると思います。

 

そして、もう一つ言葉の中にある

何かが違う。

何か、ってなんやねん。

でも、ここで何かを具体的な言葉に置き換えることができても同じです。

 

なにかという、漠然としたものを、古典という壮大なものが救ってくれるのは確かにそうです。

問題を具体的に絞り切ったのに、解決をものすごく大きなものに委ねたら、当然いつか解決します。

 

問題をしぼり、クリティカルな解決方法をしめすのが問題解決につながります。

 

問題解決の責任を「古典を勉強していない」に委ねるのは、

「開かずの金庫を開けるには、番号を総当たりしなければいけない。」

といっているのと全く同じです。

 

自分がかつて厳しく言われた言葉をそのまま伝えるのが1つの指導方法かもしれませんが、かつて言われた言葉により、自分がさらに導き出したまた違う方法を提案できるようにはならなければいけません。

 

さて、最近では、古典、に委ねないで、別のものに委ねる流れがあるようです。

 

最近の万能ワード

・現代音楽をしっかり取り組んでいない。

・作曲家との真剣勝負をしていない。

といった当たりです。

この辺の言葉で、マウントとってきます。

この当たりをいわれても、はいはい、そうですか。と思っていて大丈夫だと思います。

 

現代音楽というと、1960年代あたりから、邦楽以外の作曲家が作った作品、しかも現代邦楽というよりも、現代音楽という言葉で表現したがっています。

まあ、何だって良いのですが、そういった時代に生まれた作品を、作曲家とバチバチやりながら、音楽を生み出す、というやつです。

難解な作品が多いです。
正直、まともな演奏ができる演奏家は少ないです。

作品の意味、楽器の意味、を聴衆に伝えられる演奏家は一握りだと思います。

 

そして、現代音楽は現在進行形ですから、過去の作品ばかり、あーだこうだいっているのは、残念です。

つねに、いまも、作曲家と新しい音楽を生み出す姿勢で、現代音楽の世界を切り開いている演奏家とは全然違います。
そういう方は、まわりに押しつけません。マウンティングに利用しません。
自分の使命として、孤高で極みを目指しています。

 

今、活躍している演奏家、プレイヤーは、状況が大きく違います。
そして、音楽で生きてゆくこと、音楽を商品にすることを考えれば、いろいろと大きく変化して当然です。

50年、60年も前ですから、現在の作曲家、演奏家の関係性とも違います。

ちがって当然です。

それが、変化ですし、積み重ねの結果うまれたものです。

 

でも、そういった活躍に対して、

 

最近の演奏家は、現代音楽の作品に真剣に取り組んでいない。

だから、音楽が軽い。

何かが足りない。

 

と、言ってポジションを取ろうとしてきます。

 

まあ、そう言われて、「あ、がんばろう」と思うのは、自由です。

 

いや、そうじゃない、それはおかしい。

 

って思ったって大丈夫ですよ。

ただ単純に、マウントをとってきているだけです。

 

世代を超えて、マウント取りに来るのは本当にお忙しいことだなと思います。

 

その世代には、その世代の役割があります。

その世代にしかできないことがあって、その世代にしか届けられない世代があります。

 

だから、気にしなくて良いです。

 

誰かに言われたことをコツコツやっていれば、結果が出る。

そんな風に思っていたらダメです。

自分の出したい結果は、自分で、貪欲に求めていかないと絶対に出せません。

 

枠にとらわれて、籠の中に、檻の中にいるか、そこから飛び出して自由に羽ばたいていくかは、本人の選択です。

 

自分が過去にやってきたことが、正義でそれを同じようにやらせないと正解にたどり着けない、のか

自分が過去にやってきたことを参考に、これからは別のやり方でも正解にたどりつける、と思って次世代のサポートをするのか。

 

ま、ともあれ、そろそろ、

現代音楽作品にしっかり取り組んでいない、ということを、何か足りない、いまいち良くない、の理由にする人が出てくると思います。

古典が、なんたらの人たちとおなじです。
メソッドを、上達を、技術を、効率良く伝える気のない人だと思っていいと思います。

 

何を取り組むにせよ、使命をもって、魂を賭けて、自分をかけて、取り組んでいれば、「○○をしていないからダメ」なんて問題解決を放棄したような言葉は気にしなくていいんです。

でも、具体的で、クリティカルな問題提起で、解決案なら、参考にした方がいいですよ。

 

 

ではごきげんよう。

 

 

※今日のごはん写真
白レバーです。
とろっとしておいしいです。
ごま油との相性も最高ですね。
ベストマッチです。そうなるともうゼロカロリーになります。
なるのです。

 

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