大手の三味線製造会社が廃業して「あなた」はどう思いましたか?

今日、書こうとしている記事は叩かれるかもしれない。
怒られるかもしれないけど思ったことなので書きます。

まあ、心配してもなにも起きないのが、このブログですから、書きます。
僕なんぞ道ばたにある小石みたいなもので、影響力なんてございませんから。

何を書くかというと

 

 

大手の三味線製造会社が廃業したということに関して。

 

 

邦楽という普段、まったく誰の目にも触れない、興味を持たれないものなのに、この話題は、一般的なニュースとしても取り上げられたりしていました。

普段は話題にもならないのに、廃業というようなセンセーショナルな言葉、だからでしょうか。
ほとんどの人に関係のない人の不幸だからでしょうか?
文化の終わり、として取り上げたいのでしょうか?

 

みなさんは、このニュース記事をどう受け止めましたか?

僕はそれが知りたい。
そこに未来が、将来どうなるか、が詰まっていると思っているから。

 

 

職人さんたちは犠牲者なのかもしれないと

職人さんたちは、自分たちの作った楽器がどう合って欲しいと望んでいたのだろう。

伝統楽器として、いつかそのままの時代のままでいて欲しかったのか。
時代の変化の中で、日本人の身近にある楽器としていて欲しかったのか。

 

かつては、日本の楽器として、認知度もあって、みんなが知っていて、身近にあった三味線。和楽器。

いまは、どこにあるでしょう。

人々とはとっても遠い距離にありませんか?

そうしたのは、誰でしょう。
どうしてそうなったのでしょう。

 

楽器が売れることを望むとしたら、どうなるのが良かったのでしょう。

 

時代の変化とは関係なく、

ある一つの時代の価値感のまま、

人々の中に存在して欲しかった、

というのは、わがままです。

無理です。

 

そんな、わがままが、とおって生き残った商品はあるでしょうか?

サービスはあるでしょうか?

 

伝統芸能だから、伝統だから。

それがすべてを解決してくれると言うのなら、もうそれは、商品、サービス、商売、という土台からはおりましょう。
もう別のお話です。ビジネスではなくなってしまいます。

 

どうするかというと、

・支援してくれる、出資者を満足させ続けましょう。

しかし、そういった支援者も作らず、業界を支える母体は趣味、愛好家です。

 

時代に合わせず、価値感の変化にあわせず、と願って、ささえるのは、時代の中にいる一般の人たち、って破綻してませんか。

 

一般の人たちは、時代に合わせて、趣味趣向変ります。
当然、人が減ってゆくことは、簡単に想像できます。

 

伝統、伝統芸能で、時代の流れに寄り添わず、などというのは、絵空事、なんです。

なぜ、今では伝統楽器と言われる和楽器が、当時ヒットしたのでしょう、流行したのでしょう。

 

それは、その時代にフィットしたからです。

その時代の人に響いたからです。

 

その時代の人に響くように設計されたからです。

伝統だから、伝統芸能だから、

ヒットしたわけではないのです。

 

 

そんなの当たり前だよ。ってだれもが思うでしょう。

でも、こんな、当たり前のことなのに、もしかすると、邦楽の世界では、このように考える人は少数なのかもしれません。

 

 

誰がそうした

職人さんたちは、誠意を持って楽器を作って下さっています。
こだわって、楽器のために技術を使ってくださいます。特殊な技術です。

 

コロナの影響だ、と言われていますが、本当にそうでしょうか?
職人さんたちはギリギリまで頑張っていらっしゃったと思いますよ。

演奏する人たちのために、稽古をつける先生たちのために。

コロナが来なくてもギリギリでがんばってくださっていた、コロナが来なくても廃業という事実はいつかやってきたかもしれません。

コロナが少し時間を早めただけだと僕は思います。

 

職人さんたちは、なにも考えずに過ごしてきた業界の犠牲者なのかもしれないと思っています。

 

廃業

 

という事実をみてはじめて、考えた人も多くありませんか?

 

その事実を見ても、まだ、考えてない人もいると思います。

私には関係のないことだと。

 

楽器を演奏するものが、演奏活動する物が、愛好家を増やすことや、注目を作ることで、業界を活性化することを考えていないといけないと思います。

一人でも、二人でも、新規を生む。

一人でも、二人でも、再開する人を生む。

個人が大きな影響を与えることはできないと思います。
私には関係ない、私一人ではどうしようもない、という気持ちをうっすらと抱えている人は多いのではないでしょうか?

 

 

 

廃業

 

となって、ようやく気がつく。

 

 

小さな変化を見逃して、見落として、もしくは、見ないふりをして、対応してこなかった。

 

伝統芸能が絶えることなんてないだろう。

 

って、考えていませんでしたか。

 

また一方で

 

時代の流れでなくなるならそれを受け入れる。

 

などと、達観を装っていませんでしたか?

 

大事な物、大切な物、好きな物だからこそ、必死になりません?

考えません?

 

どうするか、どうしたらいいかって。

 

すぐ伝統、伝統文化に頼る・・・逃げる

大事な伝統だから、

伝統文化だから、

この言葉にすぐ頼りませんか?

 

今回でも、よくある反応として、

「国に保護してもらう」

「国に援助してもらう」

という物が見られます。

 

それ、おめでたすぎません?

甘い

としか思えません。

寝ぼけてるとしか思えない。

 

 

国に助けてもらう理由は何ですか?

 

 

伝統だから、伝統文化だから?

貢献してます?

 

それ、弱すぎませんか?

 

国民が求めていることでしょうか???

国民のほぼ多くが、興味のない伝統芸能、伝統文化ってなんなんでしょう。

 

百歩譲って、国に援助してもらったとしても、

国が保護しないといけないくらいに廃れてしまった物なんですか。
和楽器って。

それ、和楽器に関わっているものとして、恥ずかしくないですか?
なんとかしなきゃいけないっていう意地ないんですか?

そうしてしまったことに、責任を感じないのでしょうか?

 

めちゃくちゃ神経図太いと思います。

 

邦楽器、という言葉の意味も通じない。

三味線、箏、尺八、がどんな楽器かも区別がつかない。

需要のない状況のもの、必要のないものになってしまった。してしまったのです。

 

何かにこだわりすぎたから。

何かにこだわらせすぎたから。

 

新しい物が怖くて、自分の知っている世界だけに閉じ込めようと必死になったから。

時代の変化について行けない、新しい物が理解出来ない自分を正当化するために否定し続けてきたから。

 

もうダメになる方法しかとってない。
僕は今の結果を見て、後出しじゃんけんのように語っているように思われても仕方ないです。

 

でも、僕は、短いですが30年ほど和楽器の世界に関わって、

自分なりの考えと行動によって、

15,6年近く、地方でプロとして生き延びています。

 

なぜ、新潟で?

東京じゃないのに?

家柄とかそういうのもないのに?

と、言われることが多いです。
先日も言われました。

それは、考え方が違うから、できたんだと思います。

 

もし、伝統、伝統芸能という言葉に甘えて、そうあれば、国が助けてくれると思っているようなのなら、勘違いだと思った方がいい。

そんなたいしたものじゃない。

 

必要とされないものになってしまったものに、なぜ国が援助してくれると。

 

もっと、有効なものにお金を回していただいた方がいい。

 

補助してもらう、援助してもらう、そんなことがもし、万が一成り立ったら、業界は本気で自力で立ち上がってゆく努力をするでしょうか?

また、伝統、伝統芸能、という言葉に甘えるだけにならないでしょうか?

 

失敗した結果を出した方法で、

またなにも変らず、学びもなく、

続けるだけになる世界しか僕には予想できません。

 

自分たちで立ち上がらないと。

たとえ、援助してもらうにしろ、支援してもらうにしろ、改善していくように。

同じ過ちを犯さないように、自力で立ち直っていかないといけない。

 

ハッキリ言います。

和楽器が相手にされていないことに向き合えるかどうか。直視できるかどうか。

 

これができる人、できない人で結果が変ります。

向き合っている人は、なんとなくわかります。
これは、自分が取り組むことへの向き合い方です。
伝統的な分野への向き合い方、流派の向き合い方、楽器への向き合い方です

決して、奇抜なこと、新しいことをしているだけの人と差しているわけではありません。

それぞれの問題に、どう向き合うか、です。

誤解のないように、書いておきますが、
伝統として、伝統芸能として、今の時代の相手にされていないことに向き合って取り組んでいる人は、ちゃんといます。

 

向き合っていない人も、なんとなくわかります。
何かに逃げている。逃避行動のようにつかいます。

達観、冷笑している人も同じです。その行動に逃げている。

 

 

今日はここまでにします。

明日もこの話題が続きます。

 

 

 

※今日のごはん写真
なんておいしそうな冷やし中華!
スタジオで作って食べました。めっちゃ美味しかったです。

本文内で、「時代の流れでなくなるならそれを受け入れる。」みたいなことをいって達観を装う、と書いている箇所があります。

とても有名な先生が、このような言葉をおっしゃっているのです。
僕はそのことが、ショックというか残念に思ったのです。
いまでは、その真意を知ることはできません。
でも、芸に向かい合って、目から血を流すくらいに必死に取り組まれたからこそ生まれた言葉の重みだと。
ウソではなく、達観しているフリでもなく、真に意味がある言葉なのかなとも思いました。

だからこそ、目からも耳からも血も流さない程度にしか尺八吹いていないのに、同じようなセリフをマネする人のことは、「達観するフリをする」と言っています。

真に達観できる人は、重みがあります。
そこには簡単にたどり着けないと思っています。

普通の人は、足掻いて、足掻いて足掻いて、それでもたどり着けない。
僕は、ずーーっと足掻いて、もがいて、抵抗して、バタバタバタバタしています。

達観した言葉は、そんな簡単に出てくるわけがありません。
だからこそ、マネして、かっこつけて言っているだけってのは苦手です。
かっこつけているつもりだろうけど、かっこ悪いなと思っています。

 

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