「いい音」の基準は主観的で人それぞれなのならば、僕の理論は僕の目指す「いい音」につながっています。

僕が吹奏方、吹奏理論、ワンポイントの話の中で

 

いい音を目指そう。

 

というと、水を差す人がいる。

 

いい音の基準は人それぞれだから。

 

まあ、確かに一理ある。

一理あるけど、それだけ。

 

賢そうに、達観ぶっただけの言葉にしか聞こえない。

なんか、聴こえのいいような、都合のいいような、言葉にしか聞こえない。

 

今の話の流れの中で、

 

それを言ってなんの意味があるのだろうか。

それを言うことで何かメリットがあるのだろうか。

 

と思うような言葉を言う人は多い。

 

 

こちらとしては、

 

はい、それで?

 

としか、言いようがない系統のやつです。

 

 

いい音を出そう。

 

確かに、いい音の基準は人それぞれあるだろう。

主観的なものである以上、「いい音」というものは、人それぞれだ。

 

しかし、今僕が話題を作り、話題の中心として話を進めているとしたら、僕には「いい音」は明確にある。

僕の音、僕が目指す音が、今の話題の中の「いい音」の方向性であることは明確です。

 

つまり、僕がお話をしている中で「いい音」という言葉を使っているとしたら、

僕が出している音、そしてその僕が目指す音が「いい音」の基準として存在している。

 

その話題の中で「人それぞれだから」という言葉を言ってなんの意味があるのだろう。

 

と本気で思うんです。

 

僕のブログをよく読んでくださる人はご理解いただいていると思いますが、僕は結構なひねくれものです。
めんどくさい性格です。

だからこそ、なおさら思うんですよね。

こういった意見って全く建設的ではない、と。

一つの話題の中に、基準があるのに、急にその基準をぶっ壊すような発言。

しかも本人は、賢い意見、芯を食った意見、だと思っている節すらあるわけです。

 

そしてまた、うっかりとこういった言葉をつかう人に、だまされて、その場における建設的な意見ができないように誘導されてしまう人も生まれてしまうんです。

 

僕は別に人の意見を聞かない、というわけではありません。

その場ではない、ということなんです。

 

ちょっと嫌な言い方になるかもしれないけれど、

 

いい音が主観的であるからこそ、

自分のいい音を、自分の主観を、自分が、自分で、主張することが必要だと思います。

もしくは、そのいい音を出す誰かを応援する、推すことが必要だとおもいます。

 

自分の主観と違う基準のところに現れて、がやがやするのは、結構な嫌がらせだと思う。

 

 

で、なんで、こんな話をしているかというと、主題とはちょっと離れるんですが。

 

尺八の音の問題、というものは、いい音、を目指すことで解決するからです。

 

ただ、この「いい音」が人それぞれならば、いい音を目指す、という解決法がとれません。

 

その人が、目指す「いい音」をしらなければ、その「いい音」の出し方を僕は知らないのです。

主観として、いい音だと思う人に「いい音」の出し方を教えてもらわなければいけないと思うんです。

 

 

こんなブログを読んでくださっている人は、きっと僕の演奏や音を聴いてくれて読んでくださっているんだと思います。

僕の目指す「いい音」を構築していくための考えや理論をここでまとめています。

もちろん、YouTubeでのワンポイント動画でもです。

 

 

なので、

僕の音が「いい音」だと感じない方は、僕の理論や考え方、ワンポイント動画は役に立ちません。

僕の音を「こんなの尺八の音じゃない」「本物の音じゃない」とか言う人もいます。

だから、それは間違っているとか、そもそも的外れなんですね。
人それぞれで違うものなので。

触れなきゃいいのに、なんで触れるんだろう。

文字にすると心が落ち着くのかな。実際、僕がそうかもしれない。

 

 

なので、

僕の音が「いい音」だと感じる人には、多少のお役に立つと思います。

もし、僕の音や僕たちの演奏が「いいな」と思ってもらえたら、本当にうれしいんですよね。
「いい音ですよねー」って言われたら、本当に喜びます。めっちゃうれしいんです。

 

だって、表現って自分の主観をさらけ出しているものだからです。

 

僕は、いいな、って思ったら、いい!って言うし、書くし、文字にする。

伝わったら、きっとうれしいと思うから。

 

 

 

ちょっと、話がそれましたが、もう一方で考えることもあります。

 

どのレベルで、どの線引きでその話をしているのだろうか。

最低限の楽器として機能している音色で、そこから人それぞれの「いい音」を目指す状態ならば、僕はいいとおもう。

 

けども、

 

人それぞれだから

 

という、

 

あいまいすぎる言葉で、どこまで許すか、どこまで寛容になるのか。

 

 

ある一定の水準まで達するための基礎的な練習、理解、知識、にだって必要だと僕は思っています。

 

尺八という形の楽器を吹こうとする場合、原理的に考えても、本当に基礎的な、土台的な部分の話が「人それぞれだから」で一蹴されてしまてもいいのだろうか。

水準を乱すような、人それぞれという言葉で誤魔化すような状態でいいのだろうか。

 

 

人それぞれな面はある。

しかし、人それぞれだから、という言葉は便利に逃げ道として使っていいのか。

 

 

 

 

そう思うからこそ、僕は僕の主観をさらけ出す。

僕の主観をさらけだして、音を出し、演奏し、活動し、作曲し、理論を解説し、ブログを書き、ワンポイント動画を出している。

 

 

人それぞれだってことは、とっくに分かっているよ。

 

分かっているの。

 

だから、強烈に、人それぞれの、僕であり、僕たちの音楽を主張しているんだ。

何かのため、誰かのため、じゃなくて、自分たちのためにスタンダードを示そうと必死になっているんだよ。

 

 

では、ごきげんよう。

 

 

 

 

※今日のごはん写真

人それぞれ、という言葉はとても寛容です。
だからこそ、自分をしっかりと存在させたいと思っています。

僕は人それぞれだと思っています。
価値観が違うってことです。

その人の主張そのものが見えないのに、人それぞればかりを言う人だっています。
そんな人って、否定したり、叩いたり、する行動をとったりする人だっています。

何か否定することに一生懸命になているようにすら見えるときだってあります。
思考停止の一種にも見えます。

寛容な言葉を使いながら、寛容でない。

いやー、本当に人それぞれですよね。

 

 

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