ひとそれぞれの価値感を謳い、自由であること、縛られないことをどのように捉えるか。

尺八の音色っていうのは、ひとそれぞれで、ひとそれぞれの価値感で良い音色が存在する。

っていう話していました。

 

たしかに、それでいいと思います。

でも、なんというか、

 

じゃあ、なにを目指して練習するのかな???と思うわけです。

 

ああなりたい、こうなりたい、誰それみたいに吹きたい、誰それみたいな音色が出したい。

 

あると思います。

もしかしたら、ない人もいるかもしれませんが。

ともあれ、そういった目指す物があると思います。

 

でも、僕はその手前にある物を目指すことだって必要だと思います。

それが、水準、基準、つまり、土台・基礎と言うものだと思うんですよね。

 

尺八の音はどこまで自由で良いのか

僕には、そりゃねーぜーって思う、尺八の音があるわけです。

例えば、音量も安定していない、音程も不明瞭、音として認識できない、といった、楽器として尺八が機能していな状態の音ですね。

 

でも、尺八って、そんなもんでしょ。

ってなるから、「尺八の演奏はこれです。心が癒されますね。精神が落ち着きます。」といっている人もいるわけです。

僕がしんどいな、と思う音で。
で、そういう音を聴いて、いいな。と思う人は、僕の演奏は、もしかすると、いいな。と思わないかもしれない。

期待している、予想している感じと違うから。

 

そこで、反応は2つに分かれて、

「尺八じゃない」と、自分の価値感を守るみたいのものと

「尺八ってこれなんだ!」と、自分の価値感を更新するみたいなものとに分かれると思うんですよ。

 

これらって、いろいろな演奏家がいればいるほど、そうなっては行くと思います。

すき、きらい、好み、って奴ですから。

 

ただ、そこには水準となるのも、基準となるもの、って本当にないのかなって。

 

だから、僕はすくなくとも、目指したい音色や音の基準、水準をしっかりともって欲しいなと思います。

その過程において、さまざまな状態は存在するのが当たり前で、その水準に達していないからと言って、誰かが悪く言う必要はない。

 

まあ、こういうことを書くと、必ず、下手だけど好きはダメなのか!と声を荒げる人はいます。

 

そんなこと、1つもいっていないのですがねぇ。

 

だから、僕は僕の水準、基準に基づいて、それをクリアすることを土台をつくるとか、基礎を身につけると考えています。

 

成長する中で、指使いだってある程度、自由になっていきます。
その音楽に合わせて、いまの表現に合わせて、楽器の個性に合わせて。

でも、その状態に達する人の感覚で、その状態に達していない人に、そんな話をしてもいいのでしょうか?

うーん、僕はちゃんと段階を経て、必要になるときに、扱えるようになって、タイミングを決して間違えずに提供したいと思うんですよ。

 

 

楽器そのものに関して

尺八そのもの、楽器そのものにも、そんな風に言う声が聞えます。

個人の好みによる。

趣味趣向による。

人それぞれ合う合わないがあるから、、、なんて言います。

 

なんかね、そういうの、聞こえの良い言葉を言っているだけにしか聞えないんですよね。

 

そんなこと言う人にも、そりゃねーぜって思う尺八はあるでしょうに。

これはダメだって楽器はあるでしょうに。

 

その、水準とか、基準とか、あると思うんだよね。

 

いや、もしかしてないのか?

ないとしたら、すげぇ尊敬するって言うか、むしろ話にならないし、何も考えてないも一緒だけどさ。

 

尺八ってその振れ幅が広すぎるし、懐深すぎるし。

音楽のジャンルも細かく存在するのに、すべてひとくくりになってしまっているので、僕は自由なのに、ひとくくりになっていて、窮屈に感じるんですよね。

 

結局はその人の価値感でいいんだけども

でね、そりゃねーよっていう尺八の音色や尺八そのもの楽器の性能、があるのに、

 

人それぞれだから。

人それぞれの相性があるから。

 

といた系統の、許す感じ、認める感じ、幅広く受け入れる感じの発言、まじで嘘くさいと思ってしまう。

 

 

自分の立場や意見すら煙に巻くような。

立ち位置すら見えない。

主張のないものにも見える。

 

どこかの、だれかに遠慮したような発言。

なにかに配慮したような、人それぞれ、発言。

 

正確のひねくれた僕からすると、いつでも瞬時に変わり身が出来るような状態にいるようにしか見えない。

 

ハッキリ言えば、

信頼できない。

って感じすら思ってしまうわけです。

 

いやね、物事をハッキリ言えば良いというわけでもないんですよ。

変わり身で切るような状態でいること。

上手く立ち回っているよう思っていて、そんなのがすけてみえる。

そんな状態ってなんか信頼できないなって。

 

だからこそ、僕は自分のスタンスをハッキリさせて活動している。

 

 

いい音の基準は人それぞれだから。

楽器は合う合わないの好みがあるから。

 

確かにそうだ。確かにそうだが、

 

一定の水準を超えたうえでの話であって欲しいと僕は思っている。

 

こういえば、

 

一定の水準もひとそれぞれだから。

 

といわれてしまうんだろうな。

 

 

ではごきげんよう。

 

 

※今日のごはん写真

まあ、つまり僕は尺八は楽器です。っていうスタンスなんですね。

楽器であるからこそ、楽器として導き出される最低基準、最低水準という判断理由が生まれます。

ま、楽器、ってなに?ってとこから考えなくてはいけないのかもしれませんが。
そこを、細かく考えなくても、一般の方が「楽器」に描くイメージ、単純にいえば、音楽をする道具です。

そこには、伝統的な物とか、精神的な物とか、和のもの、お正月の物、みたいなイメージってないじゃないですか。
もし、それがあるとしたら「楽器」の先にある、それぞれの楽器の個性が尺八の場合は、伝統とか、和とか、お正月とか、そういった物なんだと思います。

なので、その前あるべきの「楽器」であるという前提がかけてしまうのは、おかしいと思うんです。

楽器であること、そしてそこに尺八そのものイメージがのるのが健全な形かなと思っています。

尺八なのに音楽が出来る、っておかしく感じませんか?

根底にある物をしっかりと、それこそ、土台、を作ることって大事だと思うんです。

 

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