歌を歌ったり、大きな声を出すのは恥ずかしいけど、、、尺八ならば、とおもってやってみよう!

先日のレッスンでガラッと音色の充実度、質が変わった生徒さんがいます。
大学の邦楽部の一年生の学生さんです。

コロナ禍ということもあり、入部する時期がいつもより圧倒的におそくなってしまいました。
それでも、入部してくれたことが本当にありがたいですね。
はじめて楽器を手にして、たった2,3ヶ月の練習期間で12月の定期演奏会で演奏するというかなりハードな時間を過ごしていました。

定期演奏会での演奏は立派でしたね。数ヶ月しかやっていないとは思えない演奏でした。
丁寧にきれいな音でしっかりと吹いていました。うん。がんばった。

真面目にいろいろ観察しながら練習しているのだろうなと、レッスンの様子からわかります。
僕の説明をいろいろ試したり、いろいろ実感しようと積極的に取り組んでいます。

で、先日のレッスンではびしっと鳴らしてましたね。
演奏会で聴いた音よりまた変化していました。

そして、いろいろなアドバイスを実戦している中で、キタコレ!という手応え。

急に、バリリィィって鳴り出すわけです。
まさに変わる瞬間、本人も実感をもって「!」となっている様子を見るとうれしくなりますね。

その中で、1つ大きく変わったポイントとなった内容をお話しします。

 

もうブログタイトルでネタバレしていると思いますが、そんなことです。

 

吹く、というモードが、声を出す、というモードに切り替わったわけです。

 

「吹く」という動作によって、尺八をしっかり鳴らす動作が起きる人はそんなにいないと思います。
しっかり吹こう、という手応えが得られにくいと僕は考えています。

つまり、これまでの経験ではそんなことをしたことがない。からです。

そこで、「声を出す」というモードが最適だと僕は考えています。
「声を出す」という動作が伴うことで、体のコントロールはしやすく、動作をしたことにより得られる実感も大きいでしょう。

やはり、これまで、声を出す、という動作を経験しているからだとおもいます。

 

実際に大きな声を出すのははずかしいけれども、、、という人も大丈夫です。

声を出すのが恥ずかしいけれども、その出し方がわかっている、普段の行動の延長線上にある、と気がつけば、そのようにおもって体をうごかすとそのような変化を体はしてくれます。

 

もちろん、普段から大きな声を出す、歌を歌う、ということになれている人だったら、もっとやりやすいでしょう。

 

逆に、尺八でしっかりと音が出せるようになると、声もしっかりと出せるようにつながる部分もあると思っています。

 

遠くにいる人に

「おーーーーーい!」

とよんでいるように、吹いてごらん。

 

という言葉をきっかけに、体の使い方が変わる人もいます。

 

甲音だけで、レ、チ、ハ(ヒ)と吹くと、なんだか窮屈そうに聞こえる人もいます。
でも、それぞれの音を、乙レ→甲レ、乙チ→甲チと乙音、甲音とオクターブで吹いた方が、スムーズに甲音が出やすい人もいます。

これは、窮屈に聞えるときは、声の動作が伴う意識が弱いのです。
高い音を吹かなきゃ行けない、という意識だけが先行して、唇だけが閉まって息が流れない、喉も力んで息が流れない、音になりにくいからさらに力む、と悪循環が起きます。

でも、乙音から甲音にオクターブで跳躍する、とおもうと「エイッ!」って思う覚悟が全然違います。
そして、今出ている音のオクターブ上、というふうに頭の中でイメージもしやすくなります。

なので、声のイメージつまり息そのものが先行して音になろうとしてくれます。

邪魔をするモノがいないので、音になりやすい。
音になりやすいから、力まないので、さらにスパーンと音になっていきます。

 

出にくい音、出しにくい音を頑張って練習することよりも、気持ちよく出せる音、出しやすい音を吹く練習をしたほうがいいです。

悪い状態は、自分が悪い状態になっている理由があります。
出しやすい音は、自分が出しやすい状態になっています。

音が出しやすい状況から、アプローチした方が圧倒的にうまくいきます。

(この話は、また後日に詳しくしたいと思います。)

 

 

さて、僕の実感をすこしお話しします。

僕自身の声では、出る声の高さの限界、があります。

当然、尺八ではその声の高さを超える音を出す場面があります。

・じゃあそれは、声では出来ないじゃないか。
・声で出そうとする動作が通用しないじゃないか。

と思う方もいらっしゃると思います。

そう思ってしまうと、何か特別な動作で解決するはずだ!と思い込んで、泥沼です。
それは、とっても不自然な状態です。

 

僕は、実際の声では出せない高さでも、声で出そうとします。

そのときには、実際に声では出せないけれども、声で出している時のイメージがしっかりと伴っています。
体はそのように動いているはずです。

そうすると、息の流れを邪魔するモノはなく、スムーズにその音になりやすい息が流れておとになります。

声では出ないけれども、声の代わりに尺八の音ででている。

声で出そうと思った動作が、尺八の音につながっている。

と感じています。

ここが「自分の声のように扱っている」と感じることが出来るきっかけの1つかもしれません。

 

 

尺八を吹くと思ってしまうと、いつまで経っても、自分と楽器が別々の状態です。

 

楽器と一体化、楽器との境目が曖昧になってゆくことが1つの目標だと思ってください。

 

その音を出そうと思ったら、自分の声のように自由自在に扱えるようになる。

 

自分の声の代わりに、尺八の音がなるのです。
声の代わりです。

声で出来ることは全部出来るはずです。

出しにくい、出るかどうかわからない、力まないと出ない、準備しないとできない、息が苦しい、が伴う状態は、取り組んでいることそのものを改善した方がいいでしょう。

 

難しいことをしている、と思えば思うほど、難しい動作を自分でします。
音が出やすい状態から離れて行きます。

もっと楽になるはずだ、もっと簡単にでるはずだ。と思った方が楽に、簡単に出る方法を考えます。

 

人間の機能って物凄い高度なことを達成してくれます。

そのせいで、吹きにくい、出しにくい、と思った瞬間に、その事実を叶える動きを体がしてしまいます。

簡単に、楽に、息が主体で、息が導いてくれる、と思って音を出しましょう。

あなたの体はそれを実現してくれます!

 

 

では、ごきげんよう。

 

 

※今日のごはん写真

これまでの経験の「吹く」という動作では、「尺八を吹く」という動作が実現出来ない。
根本的に内容が違うからです。

「尺八を吹く」という動作は、「声を出す」という動作と根本的な内容が類似します。

確かに尺八は「吹く」楽器です。

さあ、あなたが今やっている「吹く」の動作はどちらでしょう。

「尺八を吹く」動作でしょうか?
尺八の音がでない「吹く」動作でしょうか?

尺八の音が出る、鳴る、という実感が得られれば、どんな言葉になっても良いと思います。

いろいろな人が、いろいろな言葉に置き換えます。

吐く、漏らす、とか、それではまれば良いですが、はまらなかったら固執しないようにしてください。
はまらないってことは、その言葉のイメージではあなたの体は、尺八を鳴らす動作につながっていないわけです。

僕は「声を出す」と言っていますが、これもはまる人と、はまらない人もいるかと思います。

とはいえ、現状では「声を出す」がもっとも、連動しやすいと思います。
その音をだす、その音程をだす、持続する、短く、瞬間で、という尺八に必要になることを声では実現できていますから。

 

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