メタル、プラ管、規格が統一され、一定の品質で作られる尺八がもたらすこと。

泉月メタル尺八の話から、尺八の金額、付加価値、などについて考えていいます。

 

もし、興味があったらお読みください。

月泉組の泉月メタル尺八1尺6寸管がリリースされましたね。

 

さて、確実に泉月メタルより良い性能の楽器というのは限られます。

じゃあそれらが、同程度の価格で手に入るかというと、答えはおそらくNOでしょう。

 

あたっとしても、かなり限られているでしょう。

そして、偶然それがあったとしても、同じモノを同じように多くの人が手にする、ということは絶望的でしょう。

やはり、ここでも同一で均一で、統一された規格である強みはプラスに働くと思います。

 

竹の尺八だからというだけでは、僕は、その楽器が、プラ管「悠」や泉月メタル尺八よりも優れているという判断はしません。
また、「悠」や泉月メタル尺八よりも、金額が数万高い、ということが、優れているという理由にはなりません。

なので、泉月メタル1尺6寸管よりも、高機能、高性能でなければ、僕は買わないと思います。

 

でも、高機能、高性能でなくても買う人もいます。

 

なぜだと思いますか?

 

僕とその人と僕は違う価値観を求めているからです。

 

もちろんこれには、逆の価値感もあって、高性能、高品質、さまざまなメリットがあるAireedXを、メタル、金属であるという理由で「金額に見合わない」と考えて、5,6万なら買う、という意見だって生まれます。

この方の価値感は、圧倒的に竹であること、竹でないものはどんなに高性能で高品質で、圧倒的な吹きやすさ、演奏のしやすさがあっても、金額に見合わない、そう判断してしまうわけです。

 

竹である尺八に価値を感じるから

もうすでに泉月メタル尺八1尺6寸管を所有している場合です。

泉月メタル尺八1尺6寸管と同程度の竹の尺八が10万円で売られていました。

 

このときに「あなた」は欲しいと思うかです。

 

竹であることに価値を感じていれば、その竹の尺八を買うと思います。

同程度の性能でも。

 

べつに竹でなければいけない理由がない人は、絶対に買わないと思います。

 

でも、ここで迷うかもしれません。

 

「竹の方が響きがいい」

 

と、いうような素材によって生まれる機能差があるかもしれないと。

 

そうですね、僕はこれはない、と思ってもらってもいいと思います。

 

つまり、メタル尺八より、竹の尺八の方が絶対的にいい音がする。

ということは、ない。ということです。

竹であるだけでいい音になることはありません。

素材と製作者の設計により完成した楽器の力、そして演奏者の力です。

 

竹の材質によって音色が変わる、ということは言われています。

固い竹は固い音が、柔らかい竹は柔らかい音が、といった感じでしょうか。

そういった傾向はたしかにあるでしょう。
これも理論的に説明がされます。

ここでは省きますが、一般的には固い竹のほうがいい楽器、ともいわれています。

 

じゃあ、竹より固いメタルが劣る、ことは冷静に考えてもないはずです。

 

メタルより竹がいい、という答えの多くは、思い込み、幻想、イメージにすぎません。

あとは、自分が買った高級な尺八が、それよりも劣る性能だったら、悲しいからですね。

 

イソップ物語の「すっぱいブドウ」理論です。
逃避行動ですし、サンクコスト効果です。

同じようなことは以前にも起きています。

それは、プラ管「悠」が登場したときです。

 

プラ管「悠」

プラスチックの尺八がいい音がするわけがない。

 

格付け番組でも「アカン楽器」として扱われます。

対比する高級な尺八、高額な尺八も一緒に出ますが。

 

これ、金額差だけじゃなくて、機能差の問題です。

悠よりも高い値段で売られていて、悠よりも「アカン楽器」だって存在するんです。

 

ここでも「尺八は竹がいい」という信仰です。

 

高級な楽器は、高性能なものを持ってきています。

製作のねらい、基準とする性能が違うんですね。

 

金額が理由ではないんです。

 

竹だから、といった理由で、悠よりも性能の劣る竹の楽器を手にして、ニヤニヤしている人だっています。

悠が吹きにくい、と音の出ない原因を楽器に委ねる。

そして、竹の尺八がいいと、それを購入し、多少音が出たことで、やはり楽器のせいだ!と安心する。

しかしその竹の尺八は、悠よりも未来のない楽器だということに気がつかない。

 

判断力をもてるくらいの吹奏技術が身についていない証拠です。

 

最初に「悠」を購入したのならば、それをずっと使い続けても問題ないです。

竹の尺八が欲しくなったのならば、一気にランクを上げて欲しい。

少なくとも、2万、3万、5万、とか、ちょっと金額が高いから、「悠」よりも性能が上だと思わないでください。

よっぽど出ない限り、同じか落ちます。

 

プラ管「悠」の登場で、どうしょうもない楽器といものは、大分駆逐されました。

これはどういうことかというと、基準ができた、ということなんです。

 

金額に見合ったナニか、というモノが明確になったわけです。

統一された規格だからこそ、どうやったら音がでるか、という理論構築がしやすくなる。

メソッドが向かう基準がハッキリします。

修正すべき問題点がハッキリします。

 

でも、このことによって、大きく損なわれてしまうモノがあります。

それは、自尊心です。

 

音が出ない原因は自分

 

ということとちゃんと向き合わなければいけないからです。

 

 

これからの尺八に必要なこと

音が出るかどうかが博打みたいに思われるから、

基本的に財布のひもはとても固くなっている今でも、オークション、フリマアプリの謎の尺八、出所不明、状態不明の楽器に期待をしてしまいます

 

悠、泉月など、規格が統一されて、品質が同じ楽器だからこそ、

音が出ない理由、

演奏をよくする技術

を、個々人に合わせて、真剣に考えることができます。

できるから、やりましょう。

 

やらないから、いつまでも、博打×博打の楽器となってしまいます。

 

 

あ、最後に規格が統一された楽器が大きく損なうモノがあります。

 

指導者の自尊心です。

 

企画された楽器だからこそ、楽器のせいに出来ない。

なんとかして、個人個人の良い点、修正点をみつけ、明確に修正する練習を出来るようにしなければいけません。

指導力のなさが単純に露呈してしまいます

 

だからこそ、僕もいつも自分の力不足を感じながら、どう伝えたらいいか、どう言葉に出来るか、もっといい方法はないか、を必死に考えています。

 

 

では、ごきげんよう。

 

まとめ

「メタル、プラ管、規格が統一され、一定の品質で作られる尺八がもたらすこと」それは、

・その人が、尺八で大事にする価値感。

・音が出ない原因がハッキリとする。

 

他にもいくつか考えられますが、それはまた明日書きます。

 

 

※今日のごはん写真

あ、もちろん、好み、ということはありますから、それもわかります。
なので、否定はしません。

だけど、新しいこと、変化、何かしらないこと、に対して人は簡単に否定します。

僕はそうならないようにいたいと思っています。

それは、自分の未来を潰す行為ですから。

 

もし、辞めた方がいいよ、と、そっと、言うとしたら、苦しそうだったり、しんどそうだったりすることです。
でも、その状態であることが好きな人もいちゃうので、それ以上はいいません。

あとは、モラル、法律、そういったルールに関わることですね。
当たり前か。

 

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