知ってもらえば、聴いてもらえば、魅力が伝わる、という思考回路は、認知とは一体何かを理解していない。

先日、こんなTweetをしました。

今日はこのことをもう少し詳しく書いて行きたいと思います。

 

 

 

箏と尺八は「どう」認知されているか。

 

キーワードは、「どう」です。

どのように、認知されているかを考えなくてはいけません。

 

 

間違えやすいのは、

 

箏と尺八は「認知」されていない。

 

という言葉です。

 

これは、「認知」されたらなんとなかる、という発想になります。

「認知」してもらう方法を考えます。

 

でも、それでは問題解決しません。

 

いやいや、だって、和楽器は滅多に聴く機会もないし、珍しいモノだし、箏のことや、尺八のことを知らない人だっている。

いい物は、いい物なんだから、知ってもらえさえすれば、またこの魅力に気がつく人がいるはずだ!

 

って、この考え、間違っていないように思いますよね。

 

 

でも、ちょっと違うんです。

 

誰も見たことも聞いたこともないものではないのだったら、認知を高めることが大事です。

認知してもらうこと、知ってもらったあとに何が起こるか。

どのように評価するのか、ということが次の段階にあります。

 

和楽器は、みたこともきいたこともないものでしょうか?

和楽器の評価は、まだなされていないでしょうか?

 

 

和楽器が認知されていないわけないですよ。

よく考えたらわかるわけですが、和楽器が認知されていないわけないですよね。

お正月には嫌ってほど流れます。

知らないわけないですよ。

 

日本はかつて、和楽器しかない時代があったわけです。

知らないわけないですよ。

 

だから、認知してもらったらなんとかなる、という発想自体もうスタート地点がまちがっているのです。

 

え?

 

知らない人もいるだろって。

 

箏とか尺八を聴いたことがない人もいるだろって。

 

はい。

そうですね。

 

そういう人たちに、知ってもらうこと、認知してもらうことが、、、、

 

 

だーかーらー

 

もう、その発想が間違っています。

日本には和楽器しかない時代があったんですよ。

ずいぶん昔の話かと思いますが、そのおかげで、つい何十年か前までは、和楽器受け入れられていたんですよ。

 

そのことわすれちゃダメなんですよ。

 

つまり、大事なのは、知らない人がいること、じゃないんです。

 

どうして、知らない人が生まれたのか。

どうして、聴いたことがない人がいるのか。

 

なんです。

 

認知されていないのではないのです。

 

何らかの認知がされた結果、知らない人が生まれ、聞いたことがない人が生まれたのです。

 

充分に何らかの認知がされた結果なのです。

 

知らないとか、聞いたことがない、そうなる原因となる認知が充分になされた結果なのです。

 

何らかの認知がしっかりされて、何らかの判断がされて、そのような結果をもたらす現状になっているのです。

 

強めの言葉で書きますが、

もう、認知がされた結果、一つの判断が下されているのです。

知らない人がいる、聴いたことのない人がいる、という現実を生むいろいろな判断が下されたのです。

 

 

 

今抱えている、問題点の多く、例えば、

 

やりたいという人が増えない。

生徒が増えない。

コンサートに人が来ない。

楽器が売れない。

仕事の依頼がない。

 

これらすべて、そうなる原因、理由となる認知が充分にされた結果です。

そう判断されているのです。

 

・やりたくない、やるものではない。

・生徒として習いたくない。

・コンサートに聴きに行くものではない。

・楽器を買いたくない。買えない。

・仕事の依頼はしたくない。する必要ない。

 

このように判断されたことを問題点としてとらえると、どう解決したらいいかが具体的に見えてきませんか?

 

認知されていないから、生まれた問題ではないのです。

認知されれば、と考えていたら、一生かかっても解決できないと僕は思っています。

 

認知されること目的としたらまた同じこと。

知らない人に知ってもらおう、とすること、単に認知をしてもらうことを目的するとどんなことがおこるでしょうか?

 

いま、どう認知されているか、どう認知された結果、今の現状になったかをしっかりと考えていないと大変なことになります。

 

それは、認知の内容、世間の評価、現在くだされている判断、を強く肯定することになります。

 

現状の認知は、判断は間違ってなかったと。

やはり、そうだったと。

 

ただの確認作業になるわけです。

 

知ってもらえば、聞いてもらえさえすれば、いい物だから、素晴らしいモノだから、伝統だから、その良さが伝わるはずだ。

 

という考えは、幻想です。

 

知らない人を生んだ現状、聞いたことのない現状、その他、

やりたいという人が増えない。

生徒が増えない。

コンサートに人が来ない。

楽器が売れない。

仕事の依頼がない。

などなどと、判断した認知は間違っていなかったと、より強固にするだけなんです。

 

 

どうして、なにをして、どう認知されたから、今という現状になったか、をちゃんと考えなければ、無意味なのです。

 

箏、尺八にまつわる、さまざまな課題の解決は、実は、すでにある認知との戦いなのです。

 

ここまで、書けばもうわかると思います。

歴史を見れば、これまでの業界がどうだったかをみれば、対策は打てるのです。

 

楽器店の廃業、

愛好家の減少、

いろいろな問題があります。

 

さて、これらにどんな手をうてばいいでしょう?

 

 

認知をあげればいい、知ってもらえばいい、ということではないのがわかりましたよね。

 

現状の問題を生む原因となった問題点、現状の問題を生む認知につながることを改善する、そしてその改善したことを認知してもらうことが大事だと僕は考えています。

 

 

 

でも、多くの人は、失敗することを恐れます。

失敗を恐れて、現状の結果を生んだ認知を作ったこれまでの手段を繰り返してしまいます。

 

でも、よく考えてください。

 

もう、

 

全体で

全部で

 

大失敗していませんか?

 

だから、そんな失敗することを恐れる、結果が予想できないことを恐れるのは辞めませんか?

 

それに、成功することなんて、10回に1回ほどあれば充分です。

このやり方は違ったんだな、とわかった方が価値があります。

つまり、失敗の方が価値があります。

 

もうすでに結果がわかっている方法、手段を試すことには圧倒的に価値がないです。

しかも、現状を生んだ認知を作った原因なのかもしれないのです。

 

すでにある、認知のと戦い、これは重要なキーワードになるとおもいますよ。

すでにある認知を理解すること、知ること、理解することから初めてみませんか?

 

 

 

ではごきげんよう。

 

 

※今日のごはん写真
>写真はマジで久々の豪華楽屋弁当!!感激!ごちそうさまでした!!

しらない、わからない、というのが原因。
よくわかります。

でも、どうして、そんな状況になったのでしょう。

そこを考えましょう。

そこを考えずに、いい物だ、いい物だ、と押しつけられて、理解されるでしょうか?

もうすでに、充分に、認知されているんです。
その確認作業になってしまうん行為になっていませんか?

マイナスな、ネガティブな、残念な認知を肯定し、強め、自らのクビを閉める結果になりませんか?

おおきなアドバンテージのあるはずのモノが、こんなにも大きなマイナスの状況、しんどい立場にあります。

それには、そうとうの、それに値する理由があります。

改善する問題点はたくさんあります。
コツコツと向き合っていくだけです。

わずかでもよい未来を目指して。

 

【アイキャッチの写真募集します!!??】
みなさんのごはん写真、くじらさんの似顔絵!?など、TwitterのDMでコメントを添えて送ってください!
ブログのトップ画像で使用させていただきます。

尺八に関すること、もちろんそれ以外でも、質問・疑問もいただけたら、それにも僕なりの考えや体験談をお答えいたします。


尺八ワンポイントアドバイス、文字では限度もあります。
もうちょっと詳しくって方は、ぜひレッスン受けに来てください。
上達のお手伝いさせていただきます。お問合せ、お待ちしてます!

☆Twitterあります!フォローよろしくお願いいたします。

尺八:鯨岡徹のTwitter
https://twitter.com/kujira108

☆YouTubeあります!チャンネル登録お願いいたします。
いさなミュージックチャンネル
https://www.youtube.com/user/isanamusic

TOP