「なぜ、そうするか?」「なぜ、そうしているか?」を考えないから、今のあなたができあがる。

コンサート終了後は、だいたいホールの入り口付近に行って、お客様に挨拶することが多いです。

 

すると、お客様は、

 

楽しかった!

おもしろかった!

わかりやすかった!

お友達を誘ってくればよかった!

 

といったうれしい声をかけてくださって、ほんと励みになります。

 

今はコロナ禍ですから、感染リスクを減らすために、そんなことも出来なくなっています。

 

これは以前の出来事ですが、お客様が近づいてきてこう言います。

 

「私は、○○流の師範の免状をもっているものです。

楽器の説明をするときには、楽器の専門用語をつかって、ちゃんと説明するべきです。」

 

と、ありがたいアドバイスをいただきました。

 

 

 

次からのステージで、僕達はそのアドバイスを実践したでしょうか。

 

 

 

 

いいえ、しません。

 

 

 

そこには、明確な理由があります。

 

いまだ何者でもない自分には、他人が思う何者か、に価値がある。

○○流の師範の免状を持っている人が言っていることが正しい、正しくない。という話ではないんです。

師範の免状だなんだとかいったら、藤崎さんは大師範でプロの演奏家だし。
僕はたいした免状はもっていませんが、免状を持っている人とは違ってプロの演奏家なんですね。

 

免状はプロの演奏家の条件でもないんですよ。

 

師範である自分は、自分にとって、価値のあるモノだと思えます。

でも、

他人にとっては、師範であるから、それが価値のあるモノだとは伝わらないんです。

残念ながら。

 

師範だから、演奏や話を興味を持って聴いてくれる、わけではないんです。

 

もしかしたら、師範だから、と思ってとりあえず聴いてくれるかもしれません。

 

でもその後が問題です。

 

演奏や話の内容が悪ければ、どんどん相手は離れて行きます。

 

そして、師範である自分の価値は、下がります。

 

もしかすると、師範、というもの、業界全体の価値すら下がるかもしれません。

 

 

理想的だなと思う現象は、、、

 

相手にとって、何者でもない状態の自分から、

演奏、話の内容から、

相手にとっての興味を生み出して、

相手にとっての何者かになる。

 

わかりやすく言えば、

「師範が言っているんだからどうやら正しいらしい、話の内容はつまらないし、おもしろくもないけど。」

ではなく、

「え!!ほんとに!なるほど!!おもしろいな!!こんな風にお話する人はいったいどんな人だろう??」

といった感情の動きですね。

 

こちらの方が自分の価値は高まります。

 

自己満足につきあわせてはいけない。

舞台の上、アウトリーチ、人に伝えること、楽しませること、興味を持ってもらうことを考えて、活動するなかで、洗練されていくことがあります。

免状を持っているだけでは理解出来ない、気がつかない、経験できない、感がない、悩まない、部分があります。

 

腕に覚えありのアマチュアの方はたくさんいらっしゃると思います。

私の方が、俺の方がと思うと思います。

専門にやれていたら、仕事をしなきゃいけないから、演奏活動を出来ないけれども。。。と思うかもしれません。

 

でも、ちがうんです。

仕事をしながらでも、舞台の上で活躍できる能力を発揮している人もいます。

専門にやっていれば当然、違いがあります。

 

結局はやるか、やらないか、でしかないのですが、

 

あなたが舞台の上で活躍していない理由はそれじゃないのです。

 

おそらく、主体が自分にある限りは、難しいのでしょう。

受け手、相手にどう伝わるか、を考えていないからでしょう。

 

何者でもない人の話に人は興味を持ちません。

 

そして、僕も何者でもありません。

 

でも、このブログを読んでくださっている方にとっては、何者かになれているかもしれません。

YouTubeを見てくれている方には、何者かになれているかもしれません。

 

何者になれているか、なれていないか。

 

何者でもないものが、人に伝えるには、どうしたらいいか。

何者になるには、どうしたらいいか。

 

これがとっても重要なんです。

 

 

知らない言葉を二つ以上使わないようにする。

さて、

 

楽器の紹介をするときに、明確なルールを作っています。

 

紹介、説明をする、ということは、相手が何も知らない、ということが前提です。

 

その説明をするときに、

 

さらに知らない言葉、単語、が出てきたらどうでしょうか?

 

多くの場合は、人は話を聞くのをやめます。

 

興味を失います。

 

さて、ブログ冒頭のお話です。

僕たちの楽器の説明は、けっして間違ったことを話しているわけではありません。

ただ、専門用語を使わずに説明しています。

 

この理由はもうわかりましたよね。

 

興味がないものを興味がない人が、良く分からない言葉で説明している状態。

 

これって地獄です。

 

説明を聴く側になってください。

 

フランス料理の調理法をフランス料理の専門用語で説明されて意味わかりますか?

 

いいお肉が手に入ったってことで、

「プレゼはオーブンを使うため、調理方法は少し難易度が上がりますが、エチュベは比較的簡単な調理方法なのでお試しください。」

といわれて、だれかエチュベをしようと思いますかね?

「いやいや、それならポシェの方がその食材にはあった調理方法ですよ。」

などと、さらに専門用語が増える可能性すらあります。。。。

 

もういいやって思いませんか?

フライパンで焼きますよ、もう。ただただ。

 

それなならば、初めからわかる言葉で伝えます。

 

伝えたいのですから。

 

専門用語で話すことが目的ではありません。

 

本質を伝えること。

 

伝えたいことがある。これが大事なんです。

 

もちろん、「専門用語を伝えたい」のならば、それが伝わる様に、仕組みを構成しなければいけません。

 

その面白さ、その興味をひくように。

 

新しい知識、面白いと思うしらなかった情報。

それはとても魅力のあるものです。

 

しかし、

 

気をつけなければいけないことは、さじ加減です。

 

それ以上言うと情報過多。

 

もう知らないことを知りたい興味はなくなります。

 

伝えたいこと、は、可能な限り絞った方がいいです。

 

 

和楽器はかつて、日本中にあった時代がありました。

和楽器がもっとも身近でポピュラーだった時代がありました。

 

時代の変化で、そうではなくなりました。

 

あなたは、いつの時代の人に向けて、

 

演奏を聴いてもらいますか?

お話を聞いてもらいますか?

興味をもってもらいますか?

 

お手本や参考にしている先生、先輩は、どんな時代で行ってきたことでしょうか?

 

指導方法、指導内容、演奏内容、コンサートプログラム、トークの内容。

 

 

かつては、それでよかったことも、いまはそれじゃダメなことがあります。

 

ダメにならないようにあらがいます。

もっと、ダメにならないように頑張っています。

 

 

では、ごきげんよう。

 

 

 

※今日のごはん写真

情報過多、僕にはっても自戒せねばいけない言葉です。
僕はめちゃくちゃしゃべりすぎることを自覚しています。

ブログでも、YouTubeでも、レッスンでも、ちょうどいい匙加減というのができなくていつも反省しています。

コンサートのトークもしゃべりすぎる傾向があります。
それをコントロールする方法、それは、台本です。

台本をしっかり作って、何度も精査します。

わかりやすい話か、伝わりやすく簡潔か。

とっても大事なことです。

エッセンスだけでいい、きっかけだけでいいと思っています。

あとは、自分で取りに来きます。
そのほうが、価値のあるものになると思っています。

 

 

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