和楽器のと関係性を伝統・芸事・娯楽・趣味・音楽、それぞれをどう掛け合わせるか。

自分の方針、自分たちの方針を決めるために考えることをよくします。

それは、自分にとってある1つの結論を出すことが必要だからです。

 

今日の話は「それは違う」とか「そうじゃない」と感じる人もいらっしゃると思います。

いや、そんなのいつもか(笑。

 

じゃあ、自分はどうするか。

という、自分の方針をまとめるための思考を書いています。

 

正しさを主張しているのではない、ということを踏まえてください。

そんな中で、「なるほど」とか「ほうほう!」とか「それはおもしろ」とか思ってもらえるととってもうれしいんですよね。

 

この文言、ブログにはいつも書いておきたい話だな。

 

今日のTweetでそんなことを思って書いたわけでして。

またこの話題はこの話題で書いてみようかな。

 

さて、今日も書いていきます。

 

伝統、芸事、娯楽、趣味を考える。

伝統を守ろうとするとそれは、時代から、今から乖離して当然です。

これをエンターテイメントに昇華するのはとても難しいことだと思います。

 

伝統と相性のいいのは、芸事であることです。

 

自分に向かっていくこと。

過去に向かっていくこと。

 

今を、外を対象にしない。ということですね。

自分のためにすること。

 

伝統を守るというのは、その時代のもの、その形式、その状態を保存するわけです。

その時代には大衆が対象であったとしても価値観が変わった現代では、そこで行われる音楽はなかなか外には向かっていかないわけです。

 

過去と、内側に、業界、に向かっていくわけです。

 

多少でも今に訴えかけよう、今をとりこもう、とする場合は何か、失うものがあるのです。

それが、なにか、その変化する部分はなにか、をよく考えて、軸としてのこしたいもの、本当に伝えたいものがぶれないようにすることを考えることが大事です。

 

 

取り組んでいる内容が、伝統であり、文化の保存であるのですから、外に向かっていくこと、大衆に向かっていくことは、相当の工夫と困難がある、ということが想像がつきます。

 

 

しかしながら、ここで、伝統だから、文化だから、いいものだから残っているのだ、というよくわからない自信が冷静なふるまいを狂わせます。

狂わせた結果、望む結果からさらに遠ざけてしまいます。

 

内に向かっていく、ということは、芸事としての相性もいいですが、当然、趣味、としての相性もいいわけです。

 

趣味を支えるのは、本人が好きであること、です。

 

でも、そこに、芸事の性質を掛け合わせると、ちょっと難しくなります。

 

趣味と芸事は、相性が悪いんです。

 

芸事は、芸を習うことなのですが、ちょっと今では、もっと固い印象のある言葉になっているかもしれません。

芸事を趣味、といわれたら、ちょっと嫌な気持ちになる、カチンとする人がいたら、正にそういった差の感覚です。

 

 

和楽器を習うことは、芸事ですから。

 

 

と、特別のことのように言う人も少なくありません。

 

芸事として、和楽器をとりくみ、伝統、歴史、しきたり、形式を保存していく、伝承していく。

 

趣味として、和楽器を通じて、伝統、歴史、しきたり、形式を学んで、楽しむ。

 

すごく大きく違いませんかね。

 

 

伝統を学ぶこと、古典を学ぶことに、余計な責任、重み、を託してはいけないと思います。

覚悟がある人は覚悟をもって取り組みます。

 

趣味として楽しむこと、これはとっても重要な感覚です。

むしろ、へんてこな、責任感、使命感は必要ありません。

 

 

好きだから、楽しいから、それだけでいい。

 

そういった人たちの娯楽として和楽器があっていいんです。

伝統の曲を演奏しなくても、古典を演奏しなくても、別にいいんです。

 

和楽器で好きなこと、楽しいこと、やっていいんです。

今、現在、と相性がいいの、娯楽であること。

 

だって、今は伝統、といわれるものも、当時の一般大衆にはは娯楽でした。

でも、今は娯楽ではなくなった。

 

ならば、今の一般大衆にとっても娯楽であるには、伝統、古典をよりどころにする必要はあまりないのです。

もちろん、それがあってもいいですが、それが絶対ではありません。

 

歴史や伝統は強みであり、弱みです。

 

冷静な分析と思考で取り扱って、効果的に利用する柔軟な考えが分かれ目になります。

 

 

ポップスを吹くだけの尺八が存在してもいいです。

いいに決まっています。

 

古典の一つも吹けないのか、

古典をやっていないから軽い、深みがない。

 

とか、言う人もいるでしょう。

でも、それ完全にポジションとりたいだけですね。

 

古典、本曲に取り組むことで学べることはあります。

ですが、そのために準備、基礎技術は必要です。

 

それを応用してどう使うかが問題になります。

なので、準備、基礎技術を学べば、それを何に使うか、という考えになります。

 

古典をしたから、本曲をとりくんだから、ではないのです。

技術をみにつけたから、なんです。

 

もちろん、伝統的な音楽、古典はやっておいて損はないと思います。

やりたい!と思ったら取り組んでみるといいと思います。

 

無理してやるものではないと思います。

 

やりたいもの、でなければ、やりたいものをよりよくしたい、という欲求からの変化は望めません。

 

やりたいこと、実現したいことがあるから、技術が身につきます。

 

細かな技術不足をいちいち伝えるのがめんどくさいから、古典をやれ、本曲をやれ、といっているくらいに思うのでいいんじゃないでしょうか。

 

 

ではごきげんよう。

 

※今日のごはん写真

娯楽として、趣味として、楽しむ。というのが僕はとっても大事だと思います。

免状をとるという目標設定もいいと思います。
それが普通かもしれません。

それを普通にしたい理由があるのでしょう。
それを普通にしたい存在があるのです。

そのせいで嫌な思いをしたりする人がいるのなら、その制限は必要なのでしょうか?

もちろん、楽器へのかかわり方は生徒さんの自由です。
先生の考えや思想を押し付けるものではないのです。

ちがうなとおもったら、気軽にやめることが出来なければいけません。

僕は僕で僕なりの楽器へのかかわり方があります。

だから、僕にも合う合わない、ということがあるでしょう。
僕に習いに来る前に、YouTubeのワンポイント講座をしっかり見てもらえば、それで十分かもしれませんし、合う合わないも分かるかもしれません。

 

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