僕は、全然気にしていないのですが、尺八ってなると、流派が気になる方が多くいるように感じます。
なんとなく、流派、というのがあるらしいと、ちょっと知っている事実がとても大きな事実のようになってしまう。
知らないからこそでしょうか、すごく大きな問題のようにみえる。
あるかもしれません。
それが、障害になってしまったりしたら解消したいなとおもうし、それが魅力になるのなら積極的に利用していくべきです。
といったしてんから、流派と関係のない尺八のスタート地点ってどんなモノか考えて行こうと思います。
気がついたら○○流だった!
こういった方、多いんじゃないでしょうか?
尺八が吹きたい!と思って、教室に行ってみたら、そこの教室が○○流だった。
大学の部活、サークルが○○流だった。
という感じです。
僕はこのタイプですね。
そもそも、尺八をはじめたときは、尺八という楽器の音を聴いたこともないという、信じられないような状態ですし。
流派があるなんてことは、知りませんでした。
そして、気がついたらどうやら都山流らしいぞ、という状態でしたね。
免状をとって、都山流だなと。
琴古流のことも全然知らなかったし、琴古系の名人、プロのことも全然知りませんでした。
大学生で入った大学の部活、邦楽部が琴古流だったので、そこでは琴古流の譜面で吹いていました。
このときにかなり世界が広がりました。
都山流以外の演奏家、プロのこともようやく知るようになりました。
琴古流だけにこだわらず、合奏のときは都山譜も使っていました。
当時の講師の先生は、かなり学生の自由にさせてくれていました。
琴古流の免状は持っていません。
で、僕は何流か?と聴かれたら、
「聖流’(ひじりりゅう)です。」と答えています。
今の僕の演奏スタイルは、福田輝久先生のところに通うようになってから形作られるようになったからですね。
じゃあ、僕は聖流の免状をもっているかというと、持っていません。
そもそも、聖流が、家元免状制度の流派とはちょっと違う側面があるからでもあります。
流派に関係のないスタート地点
何かよっぽどの知識や環境がない限り、はじめから「○○流がしたい!」と思っている人は少ないかも知れません。
民謡がやりたい、とおもったのに、ガチ古典本曲しかしなかったり、その逆もありますよね。
古典本曲をやりたいのに、民謡の先生だったり、都山の先生だったりと。
やっぱりここで重要なのって、習いたいことが実現出来る環境かどうか、ということだと思います。
そして、環境が違ったら、あった環境を紹介できるか、ということになります。
僕自身、どんなつもりでいるかが、今日のブログタイトルです。
「流派に関係のない尺八のスタート地点」のつもりでいます。
○○流大師範であることは、とてもわかりやすい肩書きです。
おそらく、あんな感じだろう、と推し量ることができます。
肩書きは説得力がありますし、弱い人が多いですから。
○○流、となると何か格式があるようにも思えます。
専門性も高いように見えます。
限定されている部分があるようにも思えます。
このあたりは、選ぶ人の感覚次第ではあるのですが、狭すぎる入り口をつくっていないか、どうかは考えた方がいいかもしれません。
じゃあ譜面はどうする?
尺八の形式を強く守っている形が、わかりにくそうな気配があるかも知れません。
尺八専用の譜面はわけがわからない。というイメージが浮かびやすいかも知れません。
でも、そんなことないんですよね。
その楽器をその流儀で演奏するのに、最適なのが、その楽器専用の楽譜なんです。
尺八の入り口は、尺八の楽譜で教える方がわかりやすい。という考えです。
これまでの音楽体験の結果、五線譜アレルギーになってしまった人だっています。
でも尺八がやりたい、という人だっているでしょう。
五線譜が平気、バンバンいける、ってひとは、五線譜でやってもらいます。
ですが、そういった方はあまりいないですね。
五線譜がよめるので、ということで、五線譜ではじめても、五線譜があまり読めなかったんですね。
それなら、まずはということで尺八の譜面で練習してもらったら、すらすらと上達しました。
他の楽器をやっていて、という方の場合ですが、自分の出す音程が五線譜の音程と結びついて聞えない、という感じになって、ロツレチで結局、五線譜を吹きます。
音程が良くなって、もドレミという聞え方ではなく、ロツレチと聴いた方がつながるそうです。
また、ピアノなどをやっている方は、都山流の譜面はすぐ理解してくれます。
応用できる部分がそこには確実にあります。
結局、何ではじめてもいいと思います。
ただし、それを使って上手く学ぶこと、教えることが出来れば。
あくまで、僕の感想ではありますが
都山流の五線譜との共通点、シンプルでわかりやすい箇所があります。
呼び方と実際の意味が連動していないものは欠点のようにも思えます。
琴古流は音と直結して音符が作られている部分、視認性の良さがあります。
音符の長さを決定するのが、次の音だということも良さでもあり、めんどくささでもあります。
それぞれの流派のわかりやすい箇所、理にかなっているところを組み合わせたモノが存在するといいなと常々おもっています。
とはいえ、結局新しいモノがが生まれて、覚えるモノが増えるだけになってしまうので、意味はないなと思っております。
今あるモノを、柔軟に学ぶことができれば、それがいいと思います。
1つの楽譜を基準に、都山、琴古、五線譜、へと応用できる知識を学んでいくのがいいでしょう。
僕の生徒さんは、全部いける人もいますし、都山+五線譜、琴古+五線譜、都山+琴古とそれぞれの組み合わせの人がいるかな。
ひとつちゃんと学んでいれば、絶対に応用できて理解出来ます。
訳のわからない物、と切り捨てるのは簡単です。
訳のわからない物としてしまうと、とても楽です。
しらないこと、わからないこと、つまり、不安になること、を切り捨てられるので。
でも、その癖がつかないようにした方がいいです。
自分が理解出来ないこと、わからないこと、を否定する癖がついてしまいます。
一度は少し調べて、学んでみたらいいんじゃないでしょうか。
別に理解できなくてもいいです、わからなくてもいいです。
大声で否定する必要はありません。
訳のわからない物、変なモノ、おかしなモノ、と言う必要はありません。
自分のプライドを守って精神的には安定するかも知れませんが、そういった行為は、自分の価値を下げているだけです。
そっか、興味ないな。とおもってスルーでいいんじゃないでしょうか。
大声で否定する前に、黙っておく、というポジションも有効な状態だとおもいますよ。
少し話がそれてきました。
今日はここまでにしたいと思います。
ではごきげんよう。
※今日のごはん写真
今日のごはん写真は、三線奏者で匂わせ写真家のきよ里さん提供の「美女と匂わせごはんシリーズ」新作写真です。
絶妙にオシャな写真が多いですね。そして絶妙なおいしさを放つ料理。
いいなー、生ハムとチーズ。
気がついたら○○流だったという事例は結構あると思うんですね。
気がついたら○○流でもなく、ただ尺八を吹けます。という状態を育てていくとおもしろいなと思っています。
尺八を吹く基礎、土台の塊。
それぞれの流派、流儀を丁寧に学べば、応用できる状態になっている。
古典が吹けなくたっていいじゃない。
本曲が吹けなくたっていいじゃない。
尺八が吹けるんだから。
僕のとある尺八講座はこんなタイトルです。
「初めての尺八、アメイジング・グレイスを吹こう」
という狙いが逆の意味で狭すぎるタイトルです。
こういった講座の存在によって「○○流」という流派を打ち出した講座の存在も際立つと考えています。
【アイキャッチの写真募集します!!??】
みなさんのごはん写真、くじらさんの似顔絵!?など、TwitterのDMでコメントを添えて送ってください!
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