尺八を何かに限定するのが当たり前だと思っていませんか?
百歩譲って限定するだけならまだしも、自分が思うもの以外を排除、否定するのはやめた方がいいですよ。
最終的に、自分の首を絞めて、居場所がキツくなるだけなんで、一回冷静になってみるといいですよね。
きっと、このブログを読んでくれている人は、尺八をなにかに限定するような方はいないと思います。
もしかすると、尺八は○○だ!と限定してくる人、周りにいませんか?
結構そういう人って圧があるんで、なんだかすごそうに思えて最もらしくて、ちょっとしたディスりなんかも交えてくるので、なんだか辛い気持ちになったりしている方いませんか?
大丈夫ですよ。
安心してくださいね。
本当に。
尺八=○○と限定する。
例えば、
尺八=流派
流派じゃなくてもいいです。
尺八=本曲
尺八=古典
尺八=民謡
尺八=本来の、元来の、昔の、、、、
といったこと。
たしかにそうかも知れません。
でも、これは限定することじゃないんです。
唯一の「=」の存在ではないです。
すべて、尺八の持つ1つの要素です。
すべて、尺八で出来る演奏です。
そして、尺八はそれらが実現出来る楽器です。
そうなんですね。
わかりやすく言えば、尺八は楽器なんです。
確かに尺八はかつて、法器でした。
そう、仏教など、宗教儀式で使われる特別な道具、だったんですね。
なので、一般の人は扱ってはいけないモノだったんです。
そう、限定されていました。
なので、ワンチャン、限定しても良いとすれば、尺八は法器だ!ぐらいです。
だから、尺八でやるのは虚無僧の曲だけです。
いいですか、いわゆる本曲、じゃないです。
限定できるのは、虚無僧、普化宗と結びついているモノだけです。
虚無僧しか吹いてはいけないと、一般人は吹いてはいけないと禁じられていたときがあったわけですから。
でも、今はどうでしょうか?
もうすでに、一般の人が手に取って吹くことが出来るものになりました。
もうこの時点で、尺八は楽器になったんです。
法器として限定されていたら、それを扱う宗派の解体と共になくなるしかないのです。
限定されるって、そういうことです。
かつて、尺八は法器から楽器になることで滅びることを免れました。
この時点でもう制約はなくなったと僕は思っています。
この尺八、というものをつかって、なにか伝えたいことを表現できるようになったんだと思います。
それらの魅力に憧れて人が集まってきた。
このことを忘れてはいけないなと思うんですよ。
尺八は○○だ、○○でなければいけない、ということが主軸になってしまうと、尺八そのもの、尺八を扱う人、尺八の演奏など、人を惹きつける魅力の可能性、楽しみの可能性、居場所を消してしまうとても破壊的な行為だと僕は思うんです。
だから、僕は、
「尺八は○○であるべきだ!」とか
「○○流でなければ、尺八ではない!」とか
「自己流、独学なんて尺八ではない!」言っている人を見ると、
「なんだか自分の都合が良いように、尺八を限定する人達だなぁ」って思っちゃうんです。
限定された状態から、解放されたから、流派が生まれたわけです。
曲があったから、流派になったものもあれば、流派があったから曲が生まれもしました。
その前に何があったかというと、尺八があったからなんです。
時代で尺八も変わっています。
古管も、現代管も、メタルも、プラも、五孔も七孔も、それぞれの可能性であり、楽しみであり、居場所なんです。
結局その、尺八を使って音楽を演奏しているわけです。
だから、尺八そのものを、音楽や、流派だったり、ジャンルだったりに限定するような思考回路は結構ぶっ飛んでいると思います。
「尺八は本曲をふくものだ!」たしかにそうです。
でも、それだけではないんです。
「尺八は本曲も吹ける楽器です。」
これは別になにも否定していないし、限定もしていません。
こういった柔軟な考え方をしておいた方がいいですよ。
日頃から「尺八は本曲をふくものだ!ポップス、アニソンを吹くだなんてもってのほかだ!」なんて言っていたとします。
でもあるとき、片思いのあの子が「私!尺八で吹くアニソンが聴きたい!」と言ってきたらどうでしょうか。
もう、できないですよ。
あの子のために吹いて上げられないですよ。
そして多分、多分ですよ、片思いのあの子が「本曲を聴きたい!」って言ってくることないと思うんです。
残念なおしらせですが。。。
モンハンのコンサートで聴いたあれ吹いて欲しい!
とか
こないだ○○くんの舞台の劇伴できいたあの曲吹いて欲しい!
といった、
片思いのあの子のお願いを聴けないんですよ。
尺八が吹けるという唯一の特技を行かせないんですよ。
まあ、そんなもんのために、自分の信念をまげることなどできるか!という決意があれば、もう別に良いと思います。
頑張ってください、としか言いようがありません。
自分ができないこと、やれないことを否定したくなる人もいるかもしれません。
できないこと、やれないことは素直に認めれば良い。それだけ。
好み、好き嫌いもある。でも否定する必要もない。
まあ、たいした理由ってほとんどないんですよ。
だいたいが気にくわないだけ、なんじゃないかなって思ってしまいます。
本当に尺八っていろいろなことができるなって思うんですよ。
そのジャンルを専門的にやっている人の演奏は本当にすごい。
流派の曲にしろ、民謡にしろ、ポップス、オリジナルで活躍しいる人の演奏ってのは。
尺八だって、いろいろなバージョン、種類があって面白いじゃないですか。
古い尺八も、新しい尺八も、メタルもあって。
僕は、
おお、なんてすごいんだ尺八は。
と、しか思えないんですよ。
それをわざわざ限定しにいって予想の範囲に収まりに行くのはどうなんでしょう。
なんだろ、非難して、否定して、限定するというか、限定させるというか、それは、うーん。って思っちゃうんですね。
統一する必要もない、それそれがそれぞれの楽しみをもって尺八吹いていたら良いじゃないですか。
なぜ、そんな狭い世界で、アレは違う、これは違う、と言いたくなってしまうんでしょうね。
なので、
僕は「尺八は楽器、尺八は自由」と限定します!
自分が素敵と思ったモノ、憧れたモノ、良いと思ったモノ、やりたいと思ったモノをやれば良い。
最初はわからないかも知れない、与えられたものかも知れない、そんな中でも、これだぁあ!ってなるときがあります。
大丈夫です。
それくらい、尺八って懐の深い楽器だと思っています。
限定するのは、懐が狭いのは、人なんだよなぁ。
僕も気をつけよう。
ああ、尺八みたいになりたい。
ではごきげんよう。
※今日のごはん写真
まあね、僕にだって嫌なモノだってあります。
尺八のイメージが悪くなること、それは本当に嫌。
でも、それだって個人の価値感で違うと思います。
だから、仕方ないなっておもいます。
そう、自分の実現したいことは自分でするしかないんです。
誰かにさせたり、してもらうモノでもない。
誰かに実現してもらうのなら、支援しましょう。
しっかりと、ちゃんと、支援しましょう。
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