難しい方法で解決したから達成感がある?苦労したから価値がある?いえいえ、簡単な方法で問題解決してもいい。

難しい方法で問題解決した方が達成感があるように感じます。

苦労して問題解決した方が価値があるように感じます。

 

まあ、仕方がないと思います。

 

苦労して、努力したから、変化や成長が生まれる、と思うのが普通です。

 

それが当てはまらないことも多くあります。

 

 

つまり、

 

やり方が間違っていたら、どれだけ苦労しても、努力しても結果は出ません。

 

難しい方法で問題解決をしていることに気づくか、気づかないか。

 

練習したら出来るようになる、って考えるのは止めましょう。

出来ない方法で、どれだけ練習しても、出来るようにはなりません。

出来る方法を探す。

出来ない方法を繰り返しているのか、出来る方法を探しているのか、出来る方法の再現性を高める練習をしているのか。

 

練習の中身をまず考えてください。

出来た動作を思い出してください。
底に辿り着いた道順を思い出してください。

レッスン、教則本、独学でも、自分が出来た動作に立ち戻ってください。

 

失敗した方法をなんども繰り替えしていることは、とても愚かな行動だと気がついてください。

 

これがなかなか、伝わらないんですよね。

 

結構キツい言葉で、厳しい言葉になってしまっているかもしれません。

でも、本当に気をつけて欲しいんです。

 

 

練習すればできる。って言葉・思考、、、、これ危険な言葉です。

間違っていないような言葉だから、なおさらです。

当たり前のように受け入れられる言葉だからなおさらです。

 

 

なので、厳しめの言葉になっています。

偉そうですみません。

 

 

似ている言葉としても「覚えれば出来る」という言葉も近いです。

 

練習する前に、

覚える前に、

 

確認しなければいけないことが絶対にあります。

出来ない理由を考えなくてはいけません。

 

練習していないから、

覚えていないから、

 

これは、出来ない理由から排除してください。

まず、そこからです。

 

 

 

 

 

走る方向を間違えていたら、ゴールに辿り着きません。

 

でも、走る方向を間違えているかも知れない、なんて思いもしたくないんです。

走る方向を間違えていることに気がつきたくない、っていう心理もあるかも知れません。

 

 

それでも、なんらかの弱い結果がでたら、それはうれしいから、達成感、価値を感じてしまいます。

 

苦労して、努力して出た結果だからなおさら。

 

例えば、苦労して、ツの半音(都山)・ツのメリ(琴古)の音が出たとします。

 

そうしたら、その音に、もうすでに充分な価値があるように感じてしまう。

そうなるとどうなるか、それ以上の深い表現やこだわりに進めません。

 

難しい方法で、難しいやり方で、得られた弱い結果に充分満足してしまうんです。

 

これが、簡単な方法で、簡単なやり方で、思いもしないくらいに簡単に結果が得られたらどうでしょうか。

ツの半音(都山)・ツのメリ(琴古)の音が楽に、簡単に音が出ました。

そしたら、その上に、表現やこだわりを乗せることが出来ます。

 

圧倒的に違います。

 

吹きにくい尺八を吹いた方が上達すると思う人もいるかもしれません。

僕は、全くそう思いません。

吹きやすい尺八、音の出やすい尺八、つまり、楽器として論理的に設計された楽器で、尺八の練習をした方が圧倒的に上達しやすいと思っています。

音が出る理由や理論をしっかりと実感すること、演奏するために必要な動作のコントロールを癖のない状態で身につけることが出来た方が、さまざまなことに対応できます。

もちろんその方の価値感です。

とはいえ、なぜそうするのか、という理由が納得できるモノかどうかは考えないといけないです。
その上で、自分はどうしたいか、どうなりたいか、何を目指していくか、を実現していってください。

 

 

出しにくい音を出しにくく出す。

出しにくい楽器で音を出す。

 

こういうのは、困難に取り組んで結果が出たことに過剰な価値を感じて自己満足できます。

 

出しにくい音、出にくい音、を出せたことに満足してそこで終わり。

もちろん、それでもいいのなら、それでいいです。

 

難しいことのさきに何かを乗せるのは、もっと困難です。

 

もし、ハッとして、いや、その先に行きたい、と思ったら、ちゃんとその先にこだわれることがあります。

 

簡単にできたからこそ、もっと深いモノを乗せることが出来ます。

 

 

問題解決を難しいやり方でやろうとしていませんか?

そもそも、その問題解決の方針はあっているでしょうか?

 

尺八の音は出すのが難しいから、難しくて当然でしょうか?

苦労して当然でしょうか?

 

ツの半音(都山)・ツのメリ(琴古)は出にくい音だから、出にくくて当然でしょうか?

うっかり簡単に、パッと出ちゃう方法があると考えることはできないでしょうか?

 

 

練習するのは大切です。

 

でも、走り出す方向を間違えて練習しているとしたら、それはちょっとどうかなと思いますよ。

 

スポーツの世界はどんどん変化しています。

ウサギ跳びはしません。
水分を我慢しません。

そういったことが非効率だとわかったからですね。
それでも、ウサギ跳びし続けて、水分を我慢し続けますか?って話です。

楽をしているわけではないのです。
苦労をしたから上手くなるのではない。

無駄な苦労に時間を浪費せずに、有益な苦労と努力をする時間をすごしませんか?

 

 

では、ごきげんよう。

 

 

※今日のごはん写真

尺八を吹けるようになること、楽しく吹ける様になることを目的としていない、ゴールとしていないひともいるのかしらって思うときがあります。
苦労すること、しんどい思いをすることが、目的なのかしら、と。

尺八の楽しみ方は人それぞれです。

苦労することが目的の人もきっといるのでしょう。

とりあえず、僕は違うので、苦労することが目的の人の価値感でお話しすることはできません。
たいへん申し訳ありません。

 

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