僕は常々言っているのですが、
尺八をなにかに限定することはやめない?
って話です。
コレじゃなきゃダメ、アレじゃなきゃダメ、これしちゃダメ、あれしちゃダメ
これこそ正義、これこそ真実、これがホンモノ、あれはニセモノ、なんたらかんたらうんたらかんたらと。
まあ、それだけ何か強い考えがあるってことは、それだけの強い魅力を持っているってことでもあるわけです。
端から見ると、近寄りがたく、一歩引いてしまうような言動だったり、
一般的な生活の中では絶対にやらないレベルで何かを強く非難したり否定したり、
絶対に許せない!絶対にあり得ない!と、
他者の価値観にずかずかと入り込んで物言ってしまう異常行動を引き起こしてしまうほどの魅力。
深い魅力。
もしかするそこには闇深ささえ感じてしまう。
魅力というよりももはや魔力すらあるような。
「これは、自分のこだわりである。」と自覚している、認識していて、
かつ、同じように人それぞれに、
「他人にも自分とは違うこだわりがある。」と理解していることがとっても大事です。
僕はこう言うスタンスです。
だから、それぞれのこだわりで尺八愛を持っている方達、大好きです。
でも、そうじゃなく「他人のこだわり」を尊重出来ない人もいるわけです。
尺八の懐の広さに気がつかず、限定し、狭めていく人達。
まさに、魅力、魔力に毒されてしまった状態です。
そういった人達は、正直、苦手です。
日常生活では、尺八以外のことでは、絶対に発言に気をつけることなのに、
尺八のことになってしまうと、平気で、モラハラ、パワハラ、誹謗中傷、悪口と、人の嫌がることを発言してしまうような恐ろしい闇深さ。
冷静な判断を乱すような、そんな部分にとりつかれてしまった人もいるとかいないとか。
まあ、いるんですけど。
僕は、そんな状態の方を見ると、ダークサイドにいってしまったとか、闇落ちしてしまった、、、と感じるんですよね。
許せなくなる。
といった状態なんでしょうね。
しかも、それが善意である、正しいことである、正義である、伝統であり、文化であり、歴史である!未来につながる!!と強く信じてしまう。
そんな人もいるわけです。
実際、僕も過激なことを考えて、発言して、違う意見が許せない!って思っていた時期があります。
正直、黒歴史だと思います。
闇落ちしかけていました。
だから、そういった気持ちもわかります。
好きゆえに、愛ゆえに、こじれてしまう。
でも、それがいかに悪手であるか、みっともないかを思い知りもしました。
自分のこだわりを知ってもらいたい、興味を持ってもらいたいからこそ、
他人のこだわりを知ること、興味を持つこと、否定しないことが大事なんだと。
だからこそ、今の僕のスタンスがあります。
そして、思うのが今日のタイトル、
尺八ってその歴史の長さの分だけ懐の深い楽器だと僕は思うわけです。
こんなに懐の深い楽器なのに、なぜ、愛好家が減るの?衰退するの?って思うわけです。
尺八という楽器の、懐の広さ、いろいろなこだわりを持つ人達のそれぞれの居場所、もっとたくさんの楽しみが生まれる可能性を、無くす行動、限定したり、否定する行動をとっているからかも知れませんね。
では、ごきげんよう。