尺八の懐の深さについて、少しお話ししています。
長い時間の中で、いろいろな楽しみ方が共存できる懐の深さを持っている尺八。
それなのに、人口が減る、廃れるっておかしくない?って僕は思っています。
懐の広さを、わざわざ限定したり、狭めたりするからだろうと僕は仮定して活動しています。
なので、懐の広さを信じて活動すれば、広がっていくだろうし、人は興味を持ってくれる可能性がまだあるぞと思って実践しているわけです。
で、現象や廃れの原因となる狭める、限定するアクションは、業界の中からのもの、業界の外からのもの、があるとおもっています。
業界の中からの狭める、限定する意見や思考は、思いつく人が多いと思います。
むしろ、こちらばかりに注目している人が多いかもれいません。
でも僕は、それと同じように、業界の外からも限定する、狭める思考があって、なかなかこちらの方が手強い存在だと思っています。
これにはなかなか気が付かない人もいると思います。
この話だけでも長々とかけてしまうのでまた今度に。
今日は業界の中で起きてしまう共食いみたいな現象、仲間での潰し合いといった一番悲しい状況の話を少しします。
自分たちが楽しんでいる尺八の広場を別の楽しみ方をしている人たちが非難する声と出会うことだってあるかと思います。
それぞれの広場を超えてわざわざ別の広場に襲撃してくる
ことさえもあるかも知れません。
これだけ、SNSが当たり前で、個人の意見の発信が容易になっていればなおさらです。
尺八が好きすぎて、
自分たちのこだわりがゆえに、
他のひとたちが許せなくなり、
非難したり否定したりしてしまう。
巻き込まれたり、出会ったりすると、なんだか心がモヤモヤしますよね。
僕もします。
でも、そういった人達でさえも、尺八が好きゆえに、尺八愛ゆえに、なので、同じ尺八の仲間なんですよ。
だから、ここで僕が、そういう人を非難したり否定したりすると僕も同じ穴の狢なわけです。
このブログを読んでくださっている方に、僕がアドバイスすることとしたら、
・そんな人もいる、ということを知っておきましょう。
・そんな人とは関わらないようにしましょう。
・そんな人になっていないか、気をつけましょう。
これです。
なんだか嫌だなぁ。とおもう言葉と出会ったりすることもあるかと思います。
また、そういった言葉、意見に多く賛同する人もいるかのように感じることもあるでしょう。
一つはっきり言えることは、アンチ、ヘイト、過激な意見、というのは目立ちます。
そして、基本的にそういった意見というのは、業界のなかでは数少ない意見です。
数少ない声だからこそ、数少ない声に集まる人がいます。
アンチ、ヘイト、過激な言葉で、ポジションをとることは比較的簡単です。
冷静な人はやらないので。
で、結果的にポジションを取った快感が忘れられず、同じような行動を繰り返していきます。
そこには、必ず集まる人達が一定数います。
そして、冷静に判断する方は、近づきません。関わりません。
だから、議論もされないし、より過激に積み上がっていきます。
少数の過激派が「我こそ正しい」となり、みながそれを望んでいる、賛同している、と勘違いしやすい環境になってしまいます。
SNS時代はこういったことが加速しやすいです。
まじで気をつけてください。
僕も過激で普通の人が言わないことを言います。
でも、他者を否定したり、攻撃しないように気をつけています。
だから、このブログを読んでくれて、僕ののことを面白がって集まってくれる方が楽しめるように、もっと楽しめるようにしていきます。
共感できること、なるほどと思って、集まる、つながる、結束するってのは全然良いことです。
それぞれの価値観で自分の広場をつくったり、自分の山を作って組織を作ったり、グループを作るのだって良いと思いますよ。
(まあ、その広場や、山の中だったら思うように振る舞えばいいとおもいます。それを外に出してはいけないって話ですね。)
でも、何かを否定すること、攻撃することで、結束力をつくったり、仲間意識を持ったり、するのはナシです。
僕達は、尺八っていうとんでもなく懐の深い楽器で、遊ばせてもらっています。
楽しませてもらっています。
尺八の手のひらの上で翻弄されているだけなんです。
それだけなんです。
限定するとか、これじゃなきゃダメだとか、どの立場で物言ってるんだと。
何様でもないんですよ。
その中には、修行も、趣味も、伝統も、歴史も、何もかもが詰まっています。
深くて広い懐の中に、一生懸命になれるいろいろな価値観が、共存しているんです。
尺八ってすごいねぇ。
だから、尺八が好きなんだよねぇ。
としか言える立場でしかないんですよね。
ということで、楽しく尺八を吹いていきましょう。
自分のこだわりを尊重してもらいたければ、他人のこだわりも尊重できなければいけません。
お互いさまです。
特別なことなんてないんです。
もしかすると、まあそれくらいの小競り合いも楽しめよ、と尺八は笑っているかもしれませんが。
ちょっとだけ、きつめの言葉と、今後の自分への戒めのために書いておきます。
「尺八が好きすぎて」「尺八愛ゆえに」となんども書いてきましたが、純粋にこれが育まれたら、同じ尺八を吹いている人はみんな仲間だと思うはずなんです。
つまり、これがこじれてしまう原因があるんじゃないかなと思います。
たぶん、そんなときは、「尺八」よりも「自分」が好き過ぎる状態かも知れません。
承認欲求は人を狂わせますから。
では、ごきげんよう。