あご当たりを基準に考えることをやめると、楽器も進化するし、技術も指導法も進化する。

どうやら、僕は前世であご当たりで頤唇溝をぶん殴られて死んだようですね。

それぐらいに、あご当たりと頤唇溝を合わせて、という楽器の当て方のアプローチが嫌いです。

そんな話をここ数日しておりますが、もし興味がある方がいらしゃいましたら、お読みください。

あご当たりを中心に考えるの、どうしてやめないの?なんか理由でもあるの?

あご当たりを基準に考えることをやめない理由をねじれた目線で邪推

これは、間違いなく、前世であご当たりで頤唇溝をぶん殴られて死んでいるな、と思われると思います。

 

尺八のことをもっと理解するようになる。

尺八の当て方を音の発生と関係のない部分で説明することは、音の鳴る原理を説明しなくてもよくなります。

音の鳴る原理をしっかりと説明するなら、そうなるように、楽器を当てましょう、となるので、楽器の当て方の目安は音が出る原因に寄り添います。

 

両方とも、理解不足なら、もうしょうがないでしょう。

どちらか一方は正しく認識るのに、どちらか一方があいまいになっていたら、もうねじれが発生します。

 

スムーズに理解は進みませんし、どこかで、不自然や不都合が生じます。

土台こそ、丁寧に、正確に組み上げないと、後で修正するのは大変だと僕は思っています。

 

音を出すこと、も基づいて、設計することで、その他の動作の基準が決定します。

 

尺八を自分の体と組み合わせて音の出る構造にすること。

尺八の音の出る原理を知ること。

 

それがわかれば、

楽器をどのように当てれば良いのか、

息はどの向きに向かえば良いのか、

が導き出されます。

 

尺八の大きなの悩みとなる問題を解決する方針が一気にみつかるのです。

結局、楽器が教えてくれるんです。

 

どこかで、音の出る理由、原理と関係ない物がまざったり、尺八の構造を無視したりするから、変なことが起こります。

その原因が、

古くから言われている知識にある、

教則本に書かれてしまっている、

しかも更新されない、

こうなっていることがどんな影響をあたえるか、よく考えていた方が良いと思います、

 

 

更新されることは、これまでの苦労や努力が無駄にならない、ということにつながると僕は思っています。

そうやって、次の世代は一気に上手くなっていくはずなんです。

僕がその世代で(その年齢のときには)できなかったことを、次の世代の人たちは、その世代で出来るようになる。

これの繰り返しで、成熟していくと僕は思っています。

 

歩みを止めたら終わりです。

 

その行動は、歩みを止めている、と同じ意味になっていませんか?

 

 

歩みを止めたらそこで終わり。

僕の尺八の師匠は福田輝久先生で、作曲の師匠は川崎絵都夫先生でして、僕の人生はこのお二人の先生にめちゃめちゃ影響を受けています。

ふと考えてみると、二人の先生に共通するのは、向上心とか、探究心とかで、それがものすごいと思うんです。

ぜんぜん止まっていないんです。
ずっと進んでいるんです。

そういった面に関しても、僕はものすごく影響を受けています。
二人の師匠の影響を受けて、僕は僕の形として表しているなと思うんです。

そういえば、中学生のときに手ほどきをしてくださった一番最初の尺八の先生も、いろいろな面で革新的な考え方を持っていらっしゃる方でした。

そして、楽器の面では、泉州尺八工房の三塚さんに、僕はとてもお世話になっています。
三塚さんの、尺八を楽器として進化させてゆくその探究心や向上心、ものすごいことだと思います。
おなじように演奏理論も追求されています。

最高性能の尺八を製作されていて、さらにその先をつねに見据えていらっしゃる。

そして、それを尺八として実現する。

ほんとにかっこいいと思います。
まったく止まらないんですよ、進み続けているんです。

そういった姿をみている、感じているからこそ、僕も、楽器の進化、理論の進化、どちらも偏ってはいけないと思っています

 

最新の吹奏方法が定着していくことで、最新が(少しですが)一般化します。

そのことにより、楽器もさらに進化しています。

 

 

そしてその吹奏方法は、純粋に楽器の性能を判断します。

 

そうすることによって、楽器は性能を上げてゆく、進化してゆくことができます。

一本一本違う尺八の個性、一人一人違う人の個性に左右される吹き方に委ねられたままでは、楽器も吹奏方法も進化は一切しません。

 

尺八の自由さ、なんでもあり、が魅力だという人もいます。
そういった側面もあるかもしれません。

とはいえ、僕が考えている範囲ってのは限定しています。
僕は、僕が実現したいものを基準にかんがえているので、一人一人の異なる考えすべてに基づいては話していません。

自由だから、何でもありだから、といって、勝手にやって音が出ないで困っている人をほったらかしておくことなんて出来ません。
音が出ない、それも尺八だから、それも面白さだ。って言いたくないです。

僕は、それは、面白いとは思わないから。

 

ベース、土台となるものが、無いような状態では不可能です。

1つのベース、土台、が確立して、話は進んでゆきます。

 

誰が吹いても、同じ結果が出る吹き方があり、尺八がある。

だからこそ、技術はわかりやすく伝播し、上達の時間も短縮されます。

 

そのうえで、本人の音楽に対する願いが音にのり、本当の個性が音になります。

 

それは、

楽器の個性に委ねられた「個性」

 

それを楽しむスタイルもあるかと思います。

 

僕の演奏理論で目指す先にあるのは、それではなてく、

自由に音色を作ることができる楽器と技術により生み出された、

本人が作り出す本当の「個性」

を求めていきたいとおもっています。

 

 

尺八はまだまだこれからです。

 

 

では、ごきげんよう。

 

 

※今日のごはん写真

古くから言われている知識、これが新しい事実に更新されない理由はわかっています。
新しい物は否定したいんです。

自分の知識や経験を否定されているような気持ちになるから、新しいものを否定する。

心理的な防衛行動の反応なので仕方ないと思いますが、新しい物を否定すれば否定するほど、居場所はなくなり、自分自身のクビを締める結果になります。
それが、多くの場所でおこなれると、業界は痩せ細り、消滅です。

先日もブログで書いたことと似てきますが、知らないだけです。
自分が学んだときは、それが正しかった、それだけ。
それが通用しなくなるとき、実は違うというとき、は訪れます。

だからべつに、恥ずかしいことではないし、プライドを傷つけているものではないのです。

僕達が聖徳太子だとおもっていた絵は聖徳太子ではなかった説がでていますし、
鎌倉幕府は1192年だと思っていたら、1185年らしいし、

知らないだけ。
知ると言うことは、大きなことです。

なるほど、と思って、素直に取り込めるように、僕自身もありたいと思います。

 

 

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