あご当たりを基準に考えることをやめない理由をねじれた目線で邪推

昨日のブログでは。

あご当たりと頤唇溝で尺八の当て方を決める。

という考え、昔からの指導、についての疑問、そして、それを辞めませんか?

という話しています。

あご当たりを中心に考えるの、どうしてやめないの?なんか理由でもあるの?

もしよかったら、そちらも読んでいただけると、今日の話にもつながりますので、お時間のあるときにでもお読みください。

 

あご当たりにこだわる理由を嫌な目線で邪推

ちょっとね、多分問題発言になるかもしれませんが。

ここまで、あご当たりを頤唇溝に当てるというメソッドにこだわる理由を考えて見たいと思います。

 

かなり、ねじれた目線でみる形になるかとおもいますので、閲覧注意です。

 

指導力不足をごまかせる。ってのどうでしょうか?

あご当たりと頤唇溝を基準に音が出なかった場合、おかしいね?おかしいね?って言えるじゃないですか。

 

普通はそれでおとがでるんだけど。とかいって。

普通。とか言っちゃうんです

 

いやいや、普通はそれじゃ音が出ないの。
音が出る理由に基づいて楽器を当てていないわけだから。

 

慣れてくると音が出るよ。

音が出る場所を探して。

とか、言えば、煙に巻けます。

 

でも、よく考えたら、

何になれたら良いの?
音が出る場所って?

となりませんか。

だって、音が出る理由に基づいていない当て方が基準になっているのだから。

そんな状況は、闇雲に、とか、むやみやたらに、といった世界にぶち込まれるわけです。

 

 

そうしたら

 

楽器があわないかな。

 

とか言えるじゃないですか。

 

楽器買い替えようか?

 

みたいに。

 

あなたの骨格にあった楽器を買いましょう!

 

って言えるじゃないですか。

指導力不足を、楽器のせいにしちゃうことすらできる。

 

もう、楽器買わせるための手段でもあるようにすらみえます。

 

例えば、既製品のなる八くん、悠などで、いまいち上達しない人に、

やっぱり、楽器は骨格にあわせて自分にあったものをかわないと、とか言えちゃうじゃないですか。

 

 

こんなことだから、楽器を変えたら上手くなるんじゃないか幻想、高い楽器をつかっているからいい音がでているんだ妄想、をして基礎的な練習不足、理解不足から目を背ける人たちが生まれると思っています。

ていうか、性能的に問題のない楽器でちゃん教えていても、楽器のせいにしたがる人はいるので、それはそれでしんどいんですが。

 

あご当たりと頤唇溝を合わせない吹き方で、多くの方が上達してしまったら、竹製の尺八の必要性が問われるのではないかと。

悠に、竹製尺八が駆逐されるのを怖いんじゃないかと。

 

あご当たりと頤唇溝を合わせる吹き方を進めれば、一本一本違う太さの尺八をつくることに価値がうまれる。

自分にぴったりの、あご当たりと頤唇溝があうものを手に入れるには、竹製の楽器を買わなければいけない。

 

と洗脳できるじゃないですか。

 

本当はそんなところが勝負じゃないのに。

製管師の多くの方にけんかを売るような発言になりそうなのですが、竹製の楽器の勝負するポイントが、太さが違う楽器がつくれる、という安易なポイントで勝負出来るわけです。

 

楽器の太さとか関係なく、あご当たりと頤唇溝で尺八の当て方を決めない吹き方を多くの方が知ってしまう、マスターしてしまうと、尺八の楽器としての性能勝負、尺八の個性勝負、のような状況になるのを避けているんじゃないかとすら思われるわけです。

 

 

僕はちょっとやってみたいという方は「悠」で充分だと思います。

あご当たりと頤唇溝に関係なく、音の出るポイントで当て方を考えれば、純粋にその性能の評価なります。

おおくの演奏者や上級者が、悠の性能を評価している理由は、音の出るポイントで楽器を当てているからでしょう。

つまり、純粋な楽器の性能も含めて評価をしているのです。

値段とか、入手のしやすさだけではないのです。

 

でも、ここで、あご当たりと頤唇溝で楽器を当てる、という考えを更新しない場合は、誰にとって都合がいいのでしょう。

一本一本太さの違う、個人の骨格にあった楽器を買いましょう。

みたいな、流れにしやすそうじゃないですか。

 

吹き心地がよく、そのうえで、当て心地がよい、それは最高の楽器だと思います。

 

そんな楽器に出会うことは、滅多にないでしょう。

当て心地がよい、という状況は簡単に作れます。
あご当たりを頤唇溝に合わせれば、誰だって当て心地良いです。

でも、吹き心地がいい、という状況だって、ちゃんと作れるのです。
音の鳴るポイントを中心に当て方を考えればそうなって当然です。

そうなったら、純粋に楽器としての性能勝負の世界に入るわけです。
工房のコンセプト、実現する音色、とか個性、ブランディングが重要になります。

 

もう、多くの製管師は楽器としての性能・工房のコンセプト、といったブランディングによる勝負の世界に入っていることだって理解されていると思います。

 

価格面とそれに応じた性能の勝負は「悠」「なる八くん」でほとんど勝負あったと思います。
ここに、月泉メタルが違う個性の性能を持って殴り込んでくる。

じゃあ、竹製の尺八の勝負は、どうなってくるか。
純粋に、楽器の性能勝負をしなければいけない、違う個性をもって勝負しなければいけない、ということが明確になります。

 

定価価格の竹製尺八にしても、悠、月泉メタルを超えなければ意味もないと僕は思います。

もちろん、竹の外見に価値を感じている人には、話は通じませんが。

 

論理的に考えればわかりきっていることなのに、いまだに、音と関係ない場所を基準に尺八の当て方を説明することには、なにか理由がありそうな気すらします。

具体的ではないにしても、プライドとか、自尊心とか、そういったものへの恐怖、不安が原因だったりするんじゃないかと。

 

でも、それじゃあ尺八が止まるんですよね。
止まるってことは、終わるんです。

 

 

 

 

では、ごきげんよう。

 

 

※今日のごはん写真

当て心地もよく、吹き心地もよい尺八を作ります!

という、ことが工房の売りになるってことだってあるわけです。
とはいえ、あご当たりを頤唇溝に当てることが基本の説明、というのは脱却しなければいけません。

だって、音に関係ないポイントでの話だから。

修正のしようがない。
だって、あご当たりを頤唇溝にあてる。
それの中身に、ちょっとずらして、、ちょっとずらして、って何を基準に?

え、音が出る場所に動かすって?

じゃあ、最初から、音に関わるポイントで、どうなると、音が出るか、とう話ですすめればいいじゃない。
そうしていれば、音が出るために、という目的に向かっての修正が当たり前のように進めることができます。

何に基づいて、楽器を当てる位置を決めていますか?

 

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