尺八を当てるときにみなさんは何を基準にしますか?
あごあたり、と、あごのくぼみ(頤唇溝)をまずは、、、
って言う考えの人が多いと思います。
そうやって指導する人も多いと思います。
でも、これ、本当にやめませんか。
もう、やめましょうよ。
そう習ってきたから、そう教える。
やめましょうよ。
そう習ってきたから、違うことをおしえると、自分が自分じゃなくなる。
決してそんなことありませんから。
これから、始める人のこと、これからのことを考えたら、辞めた方がいいことが明白です。
説明として簡単。というのならば、手抜きです。
説明として簡単の結果、音を出すのが困難になっています。
あごあたりを頤唇溝に当てることを基準として尺八をあてると、デメリットがたくさん発生します。
普通に考えてそうです。
人の骨格は違う。
尺八も一本一本違う。
それなのに、なぜ?
骨格が違う、一本一本違う、だからこそ、なんちゃらかんちゃらと御託を並べる人ほど、あごあたりと頤唇溝を合わせようとする。
矛盾している話をしていることになぜ気がつかないのでしょうか?
いいですか、頤唇溝は、尺八を当てることを想定して神様が人間に作った場所じゃないですから。
吹き方にもよい影響はでません。
例えば、
あごあたりの角を支点にして尺八を回転させるような動きで、音の出るポイントを探すから、尺八の構造を利用した音の出し方にならない。
もう、良いことなんて1つもないんですよ。
でも、こんなことを僕に言う人もいると思います。
おまえは七孔の尺八だから、メリカリをしない偽物の尺八を吹いているから、あごあたりの重要性をわかっていないんだ!
と。
もう、これには、突っ込みどころが山ほどありすぎて、割愛しますが、、、
メリカリのポイントになるものは、あごあたり、だと思っている時点で、メリカリの技術説明もおそらく効率のわるい形で理解しちゃっています。
あごあたりと頤唇溝を合わせるから、メリカリが出来るのだ!。などと言っている人がいたら、マジで近づかない方がいいです。
知識も止まっています。技術の説明も下手でしょう。
とても上手な方がそうおっしゃっているのなら、大変苦労して出来るようになった技術だったりしますので、マネするのは難しいやり方、個性的なやり方かもしれません。
もしくは、その方の説明、理論とは、違うやり方を実際に自分で実践しているのかもしれません。
あごあたりを頤唇溝に当てる。というやり方で上手くなった人もいるかと思います。
でも、音が出ずに諦めた方もいるんじゃないでしょうか?
いまも諦めずに頑張って苦しんでいる人もいるんじゃないでしょうか?
「あごあたり」も音になることそのものに関係のない場所です。
「頤唇溝」も音になることそのものに関係のない場所です。
音になることに関係のない場所なのに、どうして、尺八の当て方の基準になるのでしょうか?
音になることに関わってくるのは、
・尺八が音の出る構造にするために必要な下唇。
・音になる息。
この2つです。
この2つの要素が、ある一定の条件を満たすように楽器を当てることが大事なのです。
どうして、指導方法の向上、更新をしないのか
僕は新潟市ジュニア邦楽合奏教室の指導者をさせていただいてます。
小学二年生から高校三年生までが所属しています。
ここで、1から楽器を学びます。
小学二年生の子どもでも、半年後には舞台に立ちます。
数年後には立派に合奏します。
卒団するころには、大人と比べても見劣りしない、いやもしかすると子どもの方が上手い位に成長します。
で、何が必要かというと、効率良く上手くなるための指導法です。
こどもたちは、忙しいです。
学校も、塾も、他の習い事も、そんな中で和楽器を、邦楽合奏に取り組んでいます。
塾も他の習い事も、継続させる技術、やりがいを感じさせる技術がふんだんに取り込まれています。
それと勝負して、子どもにとっての、好き、楽しい、という気持ち、大切さ、優先順位を上げなければ、あっさりと辞めていきます。
小学校二年生に対して、もう少し体がおおきくなったら出来るようになるからね?
とか、
肺活量が増えたらできるようになるからね?
とか、言っていたら、すぐに子どもは、楽しくなくなるんです。
じっくり時間をかけて育てる部分もあれば、効率良く上手くなれる部分があるのならどんどん成長させて行きます。
そうじゃないと、和楽器一生懸命取り組んでくれる子どもなんていないんですよ。
やりがいのあるもの、誘惑、って物凄い一杯あるんです。
それと勝負する気、ありますか?
だから、僕はいつもめちゃくちゃ考えています。
悩んでいます。
子どもたち、ほんとすごいんですよ。
丁寧に説明したり、理由を説明すると、ちゃんと理解して実践するんです。
出来ないことに取り組ませる、
出来ないことをなんとか出来るようにする、
ではなくて、
今出来ること、やれることをやれば、
尺八で出来るようになる、
そうするには、なぜそうなのか、何か必要なのかを知っていること、理解している必要があります。
分解できるちからです。
小さな課題、クリアできる課題を達成すれば、その先にある大きな課題も突破できる。
別のことだと、普通にやるやり方なのに、尺八に関しては、この普通をやらない人が多すぎると思うんです。
もちろん、感覚だとか、感だとか、雰囲気、とか煙に巻いても本人が処理してくれる可能性もあります。
でもそれは大人に通じることです。
いろいろな経験をしてきた大人だから。
子ども達は、いま、学んで、経験して、これからに生きることを蓄えている最中だからこそ、僕はふんわりと煙に巻かないようにしています。
「そうやって、気持ちを育てないと、和楽器を続けないくらいなら、はじめからやらなくて良い。」
みたいな、かっこいいことをいう人もいるかと思いますが、、、
黙ってろ。としか思いません。
そんな、高みの見物している状況じゃない。
比べる相手、勝負をする相手が、たくさんいる事実を認識しろ。
きっかけは何にせよ、やってみたいと、選んでくれた時点で、関わる物は必死になって気持ちを育てないといけない。
だからこそ、僕は。昔からこうだからとか、自分がそう習ったから、とかそういったクソくだらない物よりも、優先すべきことを考えるんです。
練習しろ、練習しろ、と無責任に、練習を押しつけて、本人の努力の責任にするのではダメです。
いそがしいなか、貴重な時間を使って、習いに来ているのだからこそ、効率のよいレッスンで、最大限の効果をだしたいと思っているのです。
レッスンにくるだけでも、成果が出せるように。
指導方法を更新していかないと、生き残ることができない現場で僕は、子ども達と真剣勝負しています。
本当に良い経験をさせてもらっています。
いい加減、責任を持って、指導方法、メソッドの更新、考えませんか?
まずは、あごあたりと頤唇溝で楽器の当て方を決めるやり方、これ辞めよう。
音の出るポイント、音の出る理由に基づいて、楽器を当てる指導が、一般化しないことに大きく疑問を感じています。
本当に。
では、ごきげんよう。
※今日のごはん写真
あご当たりって何かわからないまま、本文を読んでくださったかたもいるかもしれません。
あご当たりというのは、尺八の部分の名称なんです。
尺八の部分の名称ってどこまで詳しくついているんでしょうかね。
場所の名称がないから、説明もしづらいことがたくさんあります。
詳しい方がいらっしゃったらぜひ教えてもらいたいのです。
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