そもそも、やっている動作が違うことに気がつくかどうか。気がつく人と気がつかない人の差はなんでしょう。

今日のブログ記事のスタートはこちらの記事にあります。

息が続く吹き方では音が出ない?音が出る吹き方だと息が続かない?

この記事で取り上げている話題は、

「尺八を吹くにはたくさんの息が必要」

「尺八を吹いていると息が足りなくなる、苦しくなる」

といった経験による感想、実際にやり始めた人の感想、がスタートです。

 

まず、これを事実とおもうか、思わないかで、今後が大きく変わります。

一回限りの体験で、もう二度と尺八を吹かないのならば、それで終わってしまってもいいかもしれません。
(でも、その体験での感想がたくさん出回るのはあんまりうれしくないですが)

事実じゃなくても、それが事実としてなってしまうのって、いやなので。
どうして、その話をしんじてしまうんでしょうね。

なにをいっているか、ではなくて、誰が言っているか、ということでもないと思うんです。
むしろ、何をいっているかの方にとらわれる時代になっているような気がします。

その何かは「自分が望むことを言ってくれているか」が大きいと。

だから、尺八って息がいるんだろうな、しんどいんだろうな、って思いたい人は、その人がたった一回経験した人、初心者の人、だろうと関係なく、しんどい、息が必要、という言葉を真実として受け止めたいんです。

まあ、圧倒的に成長変化のないタイプです。

 

 

こういう時に、成長、変化、する人は、そういった自分の信じたいこと、を優先しない人です。

マジで!

え!

そうなの?

 

どうやらそうらしいから、いっちょそれでいってみっか!

 

って感じの人です。

できないことがあって、知らないことがあると自覚がある人です。

学んで、知識をつけて、練習して、これから成長するし、変化がある、と思っている人です。
そういったことが必要だと思っている人です。

 

言ってしまえば、素直に取り組めるって人ですね。

 

どんなことでも、そうですよね。

なぜかわかりませんが、大人になればなるほど「学ぶ」という意識が薄れていく人が多いです。

何でもできる、何でも知っている、という変な万能感をもってしまう人すらいます。
万能感をもつのは、せめて子ども、小学生低学年くらいまでにしておきましょう。

 

学ぶことがあります。
学べることがあります。

年下の先生だろうと、その専門家には学ぶことがあります。

経験年数が短かろうが、違う知識があれば、詳しいことがあれば、だれからも学べることがあります。

 

大事なのは「今」に基づいてお話ができているかです。

ちなみに時代、視点のずれたもの、思い込みに基づいてしまったら要注意です。
老害って言われる原因になります。。。

 

さて話を戻していきます。

 

息が足りない、息が必要、しんどい、くるしい、ってなっている人は、そうなってしまう動作を選択しています。

 

そうならない動作があるのに、わざわざ、しんどい動作をしてしまっているわけです。

 

尺八の音を出すことに関して話していました。

二つの傾向を紹介しました。

 

それが、

1,楽器を当てなければ、苦しくない状態で、しっかりとした息を長く出すことができる。

2,楽器を外した状態でも、しっかりとした息を長く出すことができない。

です。

 

1に関してなぜそうなるかは、ブログでお話したのでそちらの記事をお読みください。

尺八の音が出ない原因を「もっと息が必要」「たくさん息がいる」にしない。練習と技術で解決できる。

 

今日は2に関して書いていきます。

というか、今回の前段でもうすでにその本質的なことを書いている部分もあります。

 

2,楽器を外した状態でも、しっかりとした息を長く出すことができない。

 

これはつまり、何をどうしたって息が長く続かない動作をしているんです。

 

なぜ、そんなことをするのか。

 

それは、

○○するなら△△するだろう。

○○するなら△△したほうがいいだろう。

ともう自分で決めてしまっているのです。

 

もちろん、ある程度の自分での予測、イメージを伴って行う必要はあります。

ここで、もっともいけない行動は、自分のイメージに固執することです。

 

動作の修正を促されても、

 

いいや、そんなわけない!

 

となってしまう状態ですね。

 

もしくは、頭ではわかっているのに、自分の思い込みが取り払えない、といった状態もあるかと思います。

これも、思い込みの差し替え、イメージの刷新が必要になります。

 

例えるとよくわかります。

「歩く」と「走る」では大きく動作が違うことがわかります。

「歩いて」いる人がどんなに頑張っても「走って」いる人には追い付けません。
「歩く」のをどんなに頑張っていてもその動作が「走る」には切り替わりません。

なので、「走る」という動作に切り替えます。

「ゆっくり走って」も「歩く」に変化しませんよね。
あくまでも、走っている。

「早く歩いて」も「走る」にはなりません。
あくまでも、歩いています。

「走る」動作で、その「走る」動作を訓練してゆきます。

 

他にも、

「クロール」と「平泳ぎ」もそうです。
同じ水泳の動作ですが、完全に違います。

これを同じように語りだしたら、やばい人だなって思いますよね。

クロールの選手になりたいのに、平泳ぎの練習ばかりをしている。
平泳ぎをしているのに、クロールのつもりでいる、クロールへのアドバイスを取り入れようとする。

、、、やばくないですか?

ここまでくるとそのやばさってすごいですよね。

 

まさか、そんなのと一緒にしないでください。と思うかもしれません。

でもこれは決して大げさではないです。

 

自分が思っている動作が全く違う。

 

これは、本当によくある出来事です。

 

尺八を吹く。

 

「吹く」という言葉によってかなり支配されてしまいます。

異なる動作が存在するにに、その中から尺八に適さない「吹く」を選んでしまうともう地獄です。

 

「走る」と「歩く」

「クロール」と「平泳ぎ」

 

その違いが分かればわかるほど、違う動作の吹くをしていることの問題がよくわかりますよね。

 

動作を変えるためにいろいろな言葉、アドバイス、間接的訓練をしても、自分の思いこみに固執・執着していると変化はおきません。

 

ちょっと今日は概要みたいな話になりました。

次回は、もう少し詳しく書きます。

 

 

では、ごきげんよう。

 

 

 

※今日のごはん写真

さて、今回のごはんしゃしん、このブログでもおなじみ「美女とにおわせ写真家」でもあり三線奏者のきよ里さんの夏の新作シリーズでございます。

焼肉ですよ。いいなぁ。
焼肉ってお店によって本当に味が変わりますよね。
で、ここはきよ里さんいわく県央No1の肉質とのこと。。。
(ちなみに県央っていうのは、新潟県のの大河津分水より北で、新潟市より南に位置する一帯で同県の中越東部から下越西部。略称は県央。
構成自治体は一般に三条市、燕市、加茂市、田上町、弥彦村の5市町村といわれています。)

いやー食べに行きたいですね。
きよ里さん、写真の提供ありがとうございます!

 

ーーーおまけーーー

そうだ、もちろん、やっている動作がちがうことをアドバイスできるかどうかも大事ですよね。
指導する側にその認識がないと、たぶん全然違う結果になると思います。

独学の方は、自分で気がつくしかないですが、レッスンをうけているのに、尺八を吹く動作じゃないままで続けさせられている人いませんかね。

しんどい動作、つらい動作、でやっているならば、楽な動作がありますよ、って常に、違う動作の存在を見せてあげた方がいいです。

お手本の見せ方もとても重要ですよ。
違いがあるように見せつけすぎるようなお手本になっていないか気をつけましょう。
もちろん、目標となるお手本も大事です。
そのうえで、習熟度にあった適切なお手本も示せるといいですね。

 

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