このままでは、邦楽が滅びる、廃れる、といった話題を聴く機会が多いので、僕なりにいろいろと考えて見ました。
僕の考え、スタンスも改めて書き出してみました。
邦楽は、一つの繋がりの中で、今日まであったのでしょうか?
一つの伝統が脈々と受け継がれて、今日までったのでしょうか?
僕は違うと思います。
どこかで、滅び、廃れ、別の人がまた違う決まりを作り、また別の人が異なるルールを作り、を繰り返してきたのだと思います。
影響を受けながら、完全に一致するモノと、一致しないモノが混ざりながら、次へ次へと。
つながって今があるのだと。
だから、滅ぶ邦楽、廃れる邦楽、はあると思います。
それは滅ぶ伝統であり、廃れる伝統、だれかがこれまで大事にしてきたもだとしても。
狭い意味での伝統・邦楽はなくなっていきますよ。
でも広い意味での邦楽は、絶えないと思います。
その火は消えないとおもいます。
僕達はそういった時期に立ち会っているだけで、僕達の責任というわけでもないとおもいます。
どうしてもあらがうことの出来ない、そういった時期というのは訪れるものです。
まとめとしていうと、
大切にする伝統はあります。
でも、どの伝統を大切にするかは、自分で決めることであり、他人が人に押しつけるものではありません。
そして、だれかが大切にしている守っている伝統を誰もバカにしたり否定することはできません。
賛同する人、後に続く人がいなくなれば、狭い意味での伝統は廃れて行きます。
伝統を変える、と威意気込んで、今、その伝統を大切にしている人たちに、働きかけるのはダメだと僕は思っています。
変えよう、とかって多分余計なお世話だとおもうんですよね。
わざわざ革命家になって、すでにある他人の価値観と戦わなくても良いと思うんですよね。
新しい価値観で進んで行けば良いんです。
自分の理想や希望を掲げて伝統を、前に向かって動いていくことです。
そして、賛同者、後に続く人が生まれるように活動していけば良いのです。
その価値観、世界観、はいつか伝統になります。
伝統は作れますから。
作って育んでいくのが伝統です。
そうすることで、自分の大切な伝統を守ることだってできます。
50年続いたら伝統と呼ばれるようになります。
で、50年経つとまた別のステージでの戦いという挑戦に取り組みに変わるんですね。
そこで、つながるか、廃れるか。
一般社会が、知らなくなっていく、忘れてゆく、ことにどう立ち向かうかの局面が訪れます。
結局、伝統芸能もビジネスになるかならないか、ビジネスにならなければボランティアでしなければいけません。
ビジネスにするならマーケティングがとても大事になります。
ボランティアにするなら熱狂的な支持者が必要になります。
どこかで、誰かが決めた、約束事、ルールがいつまでも永遠に続くことなんてないと思います。
これまでの影響を受けながら、新しく生まれ、枝分かれしながら、それでもなにかがつながっている。
決して、一直線で、何か正しいものが、つながっている、わけではないと思うのです。
忘れ去られていくもの、廃れるもの、なくなるものもあって、それらの影響を受けながら、なにかが絶えずに、バトンを受け継いで、なにかが繋がって、今があるのだと思います。
では、ごきげんよう。