伝統って自然とそこにあるものだけじゃなく、作られたモノもあるのに、すべてが自然とそこにある、あったものかのように思い込んでいませんか?
わかりやすいものは、流派や社中といったグループです。
Aの流派とBの流派では解釈や呼称が異なっていることありませんか?
わかりやすい例だと、
ロツレチハ、ロツレチリ、フホウエヤ
おなじ尺八の音の名前ですが、流派でちがいます。
おかしいですよね。
伝統なのに。
どれが正しい伝統なのでしょうか?
どれが伝統として間違っているのでしょうか?
これを、正しい、間違い、という視点でだれも語らないですよね。
だって、どれもその流派にとって正しいからです。
もちろん、知識のない人は、間違いだ!伝統と違う!と叫び暴れます。
そして、はっと自分の発言が恥ずかしいことだと、気がつくときが来ます。
くればまだましですが、こなかったら、もうね。あれですね。
さて、話をもどします。
つまり、流派が作った決まりごと、約束ごとが伝統なんです。
それぞれの流派の音楽、芸術が、伝統なんです。
だから、伝統は、正しい、とか、正義、とか、唯一の絶対の真実、でもない。
普遍的な、一般的な、価値観でもない。
と僕は思っています。
(あ、念のため、書きますがくれぐれもご注意くださいね。僕の考える狭い意味での伝統です)
だから、他の流派や、流派に関わらない人達にとっては、まったくもって何でもない、関係のない話です。
その流派では、大切な伝統なんだね。って知っておくことが重要です。
だからこそ、流派や社中、そのグループに入っている人達は、その約束ごと、決まりごとってのは、守らなければいけないことです。
伝統を作り上げて、伝統として繋いでいくことが大事ですから。
そのあり方に賛同してそのグループ入っているのですから。
そこにある伝統、ありかた、運営の仕方、組織、そのなかでのコンプライアンスなど含めてすべて、組織の問題です。
もし、そこに悪しき習慣、悪しき伝統があるとしたら、その組織やグループが、問題だ、解決しなければいけない、と気がつかなければ、解決しません。
組織の中からそういった声が上がるならまだ希望はありますが、それすらなければ、もう希望はなくなりますね。
そして、あくまで個別の問題であって、そういった問題は邦楽界、尺八界、世間一般の問題だと考えてしまうと、解決できなくなってしまうと僕は思います。
自分がどうするか、という具体的な行動を考えられなくなる。
まずは、自分は、悪しき習慣、よくないと思うモノ、を行わないとして行動するのがまず第一歩ですよね。
問題をひろげたり、一般化すればするほど、具体的な問題から離れて、解決できなくなります。
夢も希望もなくなってしまいます。
問題を具体的に考えて、自分の行動を決める。
自分を狭い世界に閉じ込めておく必要なんてないですし、生きづらい場所で我慢する必要もないと思います。
順番をおとなしく待っている必要だってないとおもいますよ。
その順番が自分に回ってくるのかしら?
自分に回ってきたときに見える景色ってどんな景色かしら?
時間って短いですよ。
自分が全力で出来る時間ってあっという間に終わります。
うーん、音楽で喰っていくって話の要素が多すぎて、そういった視点で楽器に関わっている方にはほとんど意味のない話になっていきました。
ごめんなさい。
ではごきげんよう。