身につけるために何が必要かを考えて、適切な課題とチャレンジでステップアップしてゆく。

楽譜の理解やリズムに関してとても残念な話を聞きます。

「あの人は、ピアノをやっているからセンスがある。」

「あの人は、太鼓をやっているからセンスがある。」

といった発言です。

しかも指導する立場にいる人が発言してしまうことさえあります。

 

なにを問題解決を、他の音楽の経験に委ねているのでしょう。差の原因は指導力不足ですよ。

もしかするとなにかの音楽経験はスタートにおいて差はあるかも知れません。

その差が埋まらないとしたら、なにかの音楽経験のせいではなく、指導力不足です。

 

むしろ、「尺八を吹いているから、音感がいい、リズム感がいい、学校の音楽の成績がいい」となるようにと僕はレッスンをすることを心がけています。

 

まして、センスとか才能という言葉で終わらせるのは間違っています。

本人の努力、かかわった指導者の力、いろいろあります。

 

センスや才能に影響される状態に辿り着くことなんてないです。

多くの場合は、学ぶこと、練習すること、それで一般的に上達し、楽しめるようになります。

 

しんどい、辛いがある場合は、どこかで順序が狂い、どこかでパーツを失っているのです。

 

 

音楽はセンスや才能ではない

「基礎の基礎」が表拍、「基礎」が裏拍。

これは、僕が勝手にこのように説明しています。

 

本当に、基礎の基礎で、基礎であるとしか、言いようがないのです。

 

何か特別のことのようにするモノでもないし、もともと身についていることでもありません。

和楽器、邦楽の世界では、あまりちゃんとレッスンを出来るひとは少ないのではないでしょうか?

 

どこかで、経験を積んだことがあるから、なにかで学んだことがあるから、出来たり、

本人のたゆまぬ努力で克服したり、と、とても大事なことなのに、うやむやにされている部分のような気がします。

 

そこで、都合の良い言葉が、指導者、習う側のお互いにうまれます。

 

指導者は、「出来るように練習してください。」

具体的に何を練習したらいいか、手がかりもヒントもないまま、今取り組んでいる曲の中で出来るようになれと。

出来ちゃった人が指導者になってしまうともうこんな感じです。

出来ない人の気持ちが理解出来ない。
どこまで理解していて、どこまで出来るか、出来ない原因はなにか、を考えて解決することを真剣に考える時間が少ない指導者は失格です。

 

習う側は、「センスがないから、才能がないから」

違います。習っていないからです。基礎的な練習を経てないからです。

練習していないこと、理解していないことは出来なくて当然です。

 

知識と訓練の積み重ねなのです。

だからこそ、僕自身、丁寧なレッスン、知識・経験に基づいた導き、そして、なによりもわかりやすさ、をわすれないようにしたいと思います。

 

 

僕の経験の話

僕の話をします。

僕は、ピアノや、トロンボーンなどの楽器経験があります。
あるといっても、小学生がやる程度です。

だからといって、すぐにいろいろなできなかったと思います。

ピアノの先生は、順序立てて丁寧に教えてくださったと思います。

音楽の授業でも勉強していることなので、楽譜の理解はとてもスムーズだったと思います。

吹奏楽では、もう少し違う動作になるので、違和感もあったと思います。
でも、理解しているので、それを吹くだけなのですが、やりにくいんですね。

多分ここで、ブレスが伴うリズム、ということに気がついたんだとおもいます。

さらに、時間をかけたり、自分で工夫をすることで、出来るようになりました。
もちろん、先生に教えてもらったことを手がかりにして、自分で理解出来るように、考えて。

リズムなどは、パズルの様に考えて理解して、出来るようになっていたと思います。

音符の名前、意味、なども覚えれば、それがヒントにもなりました。

 

こういった、経験を小学校のころにしました。

なので、尺八を吹くときには、楽譜の理解がとっても簡単でした。

 

これは、自慢するわけではないです。

学ぶ、経験する、練習する、実感する、ということに、充分な時間があった、ということなんです。

 

 

充分な時間があったから、できるようになったし、理解がスムーズになったのです。

 

 

そんな自分のこともわすれてしまって、僕は次のように思っていました。

「音楽の授業で習っているから、五線譜のことは多くの人がわかって当然だろう。」と。

 

でも、そうじゃないのです。

 

多くの人は、めちゃくちゃ曖昧に音楽の授業を受けていたし、楽譜のことを勉強した、習った記憶なんてないのです。

 

これも、考えれば納得なのですが、「音楽の先生が、どこまでわかりやすく、理解出来るように指導しているか」ということにつながると思います。

もちろん、楽譜が読めなければ音楽が出来ない、なんていいません。
でも、無駄にはなりません。

 

小学生をレッスンするときに、五線譜の知識を確認します。

いろんなこと、しらないんです。

 

じゃあ、そこから説明しなければいけないなと。

 

そのことを知れただけでもとっても大きな収穫でした。

 

子どもがそうならば、大人も当然です。

 

和楽器は、大人になってからはじめる方も多いです。

 

どこまで自分が実践できているかわかりませんが、僕は次のように考えるようになりました。

 

知らない人に、わからない人に、どうやって、教えたらいいか。

どんなことを体験し経験したら、実践できるようになるか。

 

なにより、楽しく、わかりやすく。

苦労したり、めんどくさくならないように。

出来ること、からわかっていくようにしたい。

 

と、とにかくずっと考えるようにしています。

 

指導する立場にいる人は、頭の中で一瞬でもこんな風に思ったり考えてはいけません。

・もう知っていて当然。

・出来て当然。

・こんなことは一回説明すればわかる。

これは、絶対にNGです。

そんなそぶりをみせたら、生徒さんは本当に落ち込みます。
完全に被害者です。

僕からしたら、そんな風に思う指導者こそが能力なしと判定します。
でも意外と、そんな指導者もいます。

 

問題解決の手がかりは、そういった基礎の基礎、思いもしないところにあります。

そういったポイントをいかに解決するか、学ぶべるかが大きな分かれ目になります。

 

ここで、生徒さんにも大事なことがあります。

・わからなくても大丈夫です。

・できなくても大丈夫です。

でも、それらを学ぶ方法を子どもだましと侮ってはいけません。

バカにしているのかと思ってはいけません。

 

知らないことを習うときは、バカバカしく思えるようなところから、しっかり確認していきます。

 

それを怠ってしまうと、自分のなにが欠けているのかが見失ってしまいます。

学ぶこと、習うこと、において、へんなプライドは、邪魔なだけです。

 

・これくらいはわかっているだろう。

・これくらいはできるだろう。

 

どの前提条件は非常に危険ですよ。

 

どうぞ、お気をつけください。

 

一緒に練習しようシリーズの「短い音出し、裏拍」の動画を公開しました。

あくまでも一例ですので、これをヒントにいろいろとバリエーションを増やしてください。

 

ではごきげんよう。

 

 

※今日のごはん写真

ちゃんとスタートから教える覚悟を持たないと。

なんども説明すること、わかりやすくすること、自然と理解が進んでいくような仕組みにすること。

工夫できることはたくさんあります。

 

 

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