音楽を伝えるために必要なこと。僕の考え、その2

こちらのブログの続きになります。
まだの人は先にお読みください。

音楽を伝えるめに必要なこと。僕の考え、その1

 

音楽を届けるために必要なことは他にもたくさんあります。

楽器そもそもの基礎アクションの練度が低すぎれば、古典を吹こうが、新しいものを吹こうがなにもありません。

古典、本曲のなかで出てくる技法は、実は基礎アクションの集積です。
元になっていたり、支えられていたり、それが連続して、一連の動作になったりします。

簡単なものでも、ハロー(ハは装飾音)と吹くことももちろん、楽譜に書いてあるからやるという演奏はハズレです。
書いてあるから練習するっていうのも一体何の練習をしているのか、これもハズレです。

楽譜に書いてあるという不自然な表現しかでてきません。

基礎アクションをきっちり身につけていれば、自然な、必然的に表現がついてきます。

その曲を修練しなければ学べない特別な技法というものではなく、尺八を吹く練度があがっていれば、それらの演奏は可能です。

うわべだけの技術を学んでも練度が低ければ説得力は一切ありません。
基礎アクションとして常に意識されている動作は、古典だろうが、現代曲だろうが大きな説得力になります。

 

音楽を届ける、伝える、そのためには、自分で深く理解して、誰よりも考えて、わかるように他人につたえなければいけません。
音楽を表現をすること、どうやったら届くか、と悩む経験をすること。
それは、別に古典だろうが、何だろうか、同じだと思っています。

ただ、古典しかない時代の指導者は、古典をしなければ、と言うしかありません。

尺八や箏、和楽器に興味を失われてしまった今では、楽器そのもののですら、伝わりにくいのが現状です。
一つの課題として取り組ませることはあったとしても、あたかも、世にある古典すべてを完璧にできなければダメだと誤解させるような、思い込ませるような、否定するような言い方はいただけない。
一生をかけて学ぶ、専門的に探求する役割の人がいる、そんな古典なのに、軽々しく言葉にして、洗脳する必要はありますかね?
その翼や才能の羽を折り続けていることに気がつかないですかね。

 

もちろん、好きでそれに取り組んでいるんだったら別に問題はありません。
僕は、古典を否定している、訳ではありません。

自分にとって都合のいいように言っている人が嫌なんです。

一心に取り組まなければ、音、演奏に説得力は生まれません。
古典にこだわらずとも、その人が、一心に取り組むのがあればそれでいい。
といっているだけです。

 

楽器の練度を上げること、一心に取り組んだ難曲が何曲あるか、これらは欠かせない要素です。

そして、、、

長くなりそうなので、また明日続きを書きます。
明日で終わりにします。

 

ではごきげんよう。

 

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