さて、価値感の違いってのは、いろんなところで問題の原因になります。
それに関しての相談や共有をしないから、まあこじれるわけで。
「芸事はお金がかかる」のようなひとくくりの話、これで済まされるのはちょっと納得いかない。
さて、本当に芸事はお金がかかるのか。
かかる場所で習えばかかります。
かからない場所で習えばかかりません。
間違えずに選べば、自分の望む結果を得られます。
ちょっとやってみようか、趣味でやってみようか、の人から、プロ志向、芸大いきたい、という人をひとくくりにして話すようなものです。
程度が違えば、そりゃちがいますよ。
で、それが正しく判断出来ているかどうか、勘違いしていないか、という問題です。
これは、習う側も、教える側も、共に気をつけないといけません。
習いたい方は何を目的にしていますか、誰に習いたいですか、この設定がとても大事です。
・ちょっとやってみたい感じでしょうか?
・趣味でしょうか?
・一人で楽しむことでしょうか?
・人前で演奏することでしょうか?
・芸大に行きたい?プロ思考ですか?
・ギャラが発生するレベルまで技術を高めますか?
・伝統を背負って未来に残す使命を果たしますか?
そして、指導する側は、どれに対応できるかということです。
もちろん、これだけをしっかり、これしか、というものでも問題ないんです。
それは、それで価値感がはっきりしています。
ただ僕が気をつけていることは、生徒さんの価値感を優先することです。
たくさんある目的を達成するために、柔軟に対応できる能力を持つこと、指導力を持つこと、思考力をもつことです。
まあ、結局、1つのやり方しか僕にはできませんが、何を求め、どこまでを要求するかの違いだと思います。
ちょっとやってみたいんだよね。という方の金銭的な負担は問題じゃないのレベルってどんなもんだと想像しますか?
もちろん、個人差はあるとおもいますが、なんとなく想像がつくとおもいます。
先生に習うというレッスンをせずに、YouTubeなどでやる。というのだって立派な選択肢です。
でも、そんなタイプの方が、プロを育てるレベルで指導することしかしない先生のところに行って、レッスン代が高い、発表会の参加費が高い、とか言うのはまあ、おかしいことですよ。
そして、先生の方も変な人が来た、こっちの言っていることが通じない、常識がわかっていない。とかいうのはおかしいです。
誰が悪いって、頭が悪いとしか言えない。口が悪くてスミマセン。
ちょっとやってみたいんだよね、という希望を聞き出せなかった先生も。
あれ、この会、自分が目的としているものとちがう目的があるかも。と思わなかった生徒も。
お互い様です。
これで、アレが悪いだ、これがひどいだ、お金がかかりすぎるだ、言ったり、これくらい当然だ、常識がないだ、世間知らずだ、芸事をなめてるだ言うのはお互い筋違いですよ。
結構そんなこと起こっていると思います。
それぞれの常識、当たり前は、時代や生活環境が変れば当然違ってきます。
だれもが、自分と同じものを見、同じ経験をし、同じ価値観を持ち、同じところを目指していると思っていませんか?
そういった負担に押しつぶされて、楽器を辞めてしまう人もいます。見てきました。
僕はすんごく不真面目な大学生で、授業なんか行かないで、いっつも尺八吹いていました。
僕の経験から、大学生は時間的に余裕がある状態というのが当たり前とおもっても仕方ないかもしれません。
もしかしたら、世間的にも、大学生は時間的に余裕がある、と思っている人もおおいかもしれません。
だからといって、僕は、今の大学生も僕と同じように授業に行かないでいっつも尺八吹いている。なんて思いませんもの。
時間に余裕があるっておもいませんもの。
いや、もうちょっと若いころは思ってたかな。
でも、あるときハッと気がついて、考え方、ガラッと変えました。
僕はメチャクチャ尺八が好きなんですけど、僕の尺八が好きの方向性と熱量の異常さに気がついたとき、みんな同じじゃないということにも気がつきました。
だから、練習する量だって、使うお金だって、熱量だって、負担と思わない範囲が大きく違うと知りました。
僕は演奏で指導でお金をいただいて、それで生きているプロだから、僕の指導は価値があるし、時間をかけて学んだことを教えていて、生徒さんもそうだと理解している。
それは求めるものにしか与えないし、いい加減に学びにきて欲しくない!僕から聞いた話を自分のメモだと称してネットに書くな!とか本気で思っている時期もありました。
恥ずかし!
マジで恥ずかし!
黒歴史!!
価値を決めるのは自分でもありますが、生徒さんにとっての価値は生徒さんが決めることです。
今は率先してYouTubeで好き勝手しゃべったりしているくらいです。
取りに来る人に価値を感じてもらえれば、それが有料だとか無料だとか関係ないと思っています。
そして、対面のレッスンにはもっと別の価値がある。
それが、価値感のすりあわせによる生徒さんの希望する方向に一緒に向かってゆくことだと僕は思ったんです。
だからこそ、YouTubeは好き勝手にしゃべっているのです。
基本的なことは押さえておきますが、そこから先は自分の感覚を遠慮なく。
僕はたぶん、こう吹け、とかこうした方が良い、とかある面では僕の価値感を押しつけていると思います。
でも、生徒さんの望む方向性、やりたいこと、楽しむことへの価値感を自分の価値感でねじ曲げようとはおもっていません。
自分の常識、自分の経験はあくまで自分のもの。
つねに変化して変ってゆくもの、人によって大きく違うもの、にいかに対応するかということを考えることを僕は優先します。
だから、柔軟に、今に、その人に、最適なことができないか、と考えます。
生徒さんは、何を、誰に、習いに来ていますか?
先生は、何を、誰に、教えていますか?
趣味?
舞台で演奏すること?
プロになること?
伝統を守る使命を背負うこと?
目的を達成するために誰に習い、どんな道筋をとるか、そこに自分の負担だと思わないレベルのお金が必ず存在するかは保証できません。
でも、すりあわして、相談して、対応できる場があるならば、できるかもしれません。
何を習うか。
何の目的か。
全然違います。
お互い、両方の立場で考えることができれば、納得できるものになるんじゃないでしょうか。
限定的であればあるほど先細りしていきます。
現状がそうであれば、さまざまなニーズに応え、多様性のある状態を作ってゆく。
多様化すれば、仕事にできる人も増えてゆきます。
限定した1つのものを皆が奪いあっているから、仕事としてサービスを提供する人が生まれない。
仕事としてサービスを提供する。
目的に合ったサービスを提供する。
それだけで仕事になる。
今あるものを誰かから奪うのか、新しい需要を掘り起こし生み出すのか。
本気でやりたい人は、音楽で生きて言いたい人は、考えれば分かるはずです。
母数を増やすことが大事なので、ひとくくりにされて、敷居の高さ、費用がかかる、めんどうくさい、というイメージだけが先行してゆくのは最も避けたいことです。
人は悪い噂が好きだから、そういうことを面白がって広めます。
悪い話、良くない話、隠すのではなく、説明すること、向き合うこと、解決すること。
そして、良い話、楽しい話、新しい試みも同じように広めていくことをしたい。
次の機会に「演奏会にかかる費用が分からない」問題、「和楽器の世界はひとくくり」問題について書きます。
ではごきげんよう。
※今日のごはん写真
先日ぱしふぃっくびいなすにゲストエンターティナーとして乗船したときのごはんです。
何度も言っておりますが、バランスのとれた和食がカロリーゼロなのは当たり前です。
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