もうね、何度でもいいます。
「あご当たり」と「あごのくぼみ」を基準にして、尺八を当てるのをやめましょう。
全く意味がありませんし、どう考えても論理的に意味がわかりません。
音が出ることにおいて無関係な場所です。
いい加減、「あご当たり」と「あごのくぼみ」にとらわれている状態から脱出してください。
音に関係ない場所が尺八を当てる場所の基準になるはずがない。
僕は、このブログでも、YouTubeの動画でも、なんどもいっています。
音が出ることに何の関係もない場所が基準になるわけがありません。
「あご当たり」と「あごのくぼみ」を尺八を構える際の基準のように扱うのをやめましょう。
やめないから、尺八の音が出ない人が後を絶たないのです。
やめないから、指導方法がまちまちなんです。というか音が出ない方法でも堂々と教えられ続けるんです。
やめないから、上達しないのです。
やめないから、きちんと制作された尺八に、音程がわるい、吹きにくい、と文句をつけるのです。
やめないから、尺八の演奏技術、尺八の製作技術の進化の邪魔をしているのです。
はっきりって、こんなにも長い間、尺八が日本に存在しているのに、音を出すのが難しい。とかいわれている状況って、かなりまずいと思いませんか?
その間、何の改善も、何の工夫も、してこなかった結果じゃないでしょうか?
「あご当たり」を「あごのくぼみ」に当てる。という説明に間違いがあるんじゃないかという仮説をだれも立てなかったのでしょうか?
立てたとしても、その側から否定されてきたんだと思います。
でも、どんなひとをみても、最終的には、「あご当たり」と「あごのくぼみ」が完全に一致していて良い音色を出しているのではなく、良い音色が出る場所、音が出やすい場所、を基準にして当てています。
当て心地が良いところが最適な当てる場所ではありません。
良い音が気持ちよく吹ける場所が、最適な当てる場所なんです。
音がでることに関係する場所を基準にしてあてるのが論理的
音が出ることに関係する場所ってどこでしょうか?
歌口(舌面)と唇(下唇)の関係です。
これは、なんどもブログで話しているので、改めて説明はしません。
過去記事読んでください。
一人一人骨格、体つきが違います。あごのくぼみの場所も違います。
尺八だって、一本一本違います。
それでも音がでるのは、なぜか。
良い音が出る形は決まっているからです。
音が出る状況をただただ正しくつくるだけなんです。
それは、音が出ることに関係する場所がどのようになっているか、でしかありません。
どうかんがえても、歌口と下唇の関係に注目しなければいけないことがわかります。
「あご当たり」と「あごのくぼみ」に支配されているマイナス、解き放たれたプラス
マイナス面は、たくさんあります。
音が出ることに関係の無い場所に支配されていて良いことがあるわけありません。
当て心地が良いからといって、その場所を優先して、音がなんとかでるように不自然な吹き方をして、癖の塊になったとしたら、その技術はだれに伝えることができますか?
同じようにできることってほとんどないでしょう。
再現性の少ない技術だから、伝達もできず、成長もしない。
個性的な吹き方すぎて、尺八そのものとの相性、が重要になりすぎる。
カスタムメイドの楽器になりすぎてしまって、共通化できる技術が圧倒的にすくなくなり、全体の成長を阻害します。
「あご当たり」と「あごのくぼみ」の支配から抜け出したらどうなるか。
先ほど書いたことの逆、すべてがプラスに働きます。
音を出す、ということにおいて、共通の技術になります。
メソッド、指導方法が、共通化して、共通の問題解決のために、たくさんの集合知を使うことができます。
初心者にとって、これほど、プラスになることはありません。
そして、共通の吹き方なので、尺八そのものの性能への要求のばらつきが減ります。
その結果、尺八そのものの進化、が見えてきます。
誰かが吹いたらとても良い。
でも、他の誰かが吹いたら別に良くない。
といった状況が、これまでの多くだったとお思います。
それが、音の出る場所を基準にして(体つき、個性に委ねられる部分が排除されている状態)尺八を吹くことになれば、良い場所、悪い場所、もっとこうした方がいい、という欲求も同じような方向にまとまってゆきます。
尺八はいろいろなものがあっていろいろなすべてがすばらしい。けど。
確かにその通りです。
確かにその通りなので、大きな成長や土台の形成がされずにここまで痩せ細ってしまったのではないかと僕は思っています。
尺八の根幹、幹、根っこは何だと思いますか?
おそらく、古典、本曲、という言葉が出てくるかと思います。
僕は、違うと思います。
尺八の根幹は、尺八です。
尺八という楽器そのものです。
その、枝葉として、古典も、本曲も、○○流も、現代曲、演歌、ポップスを吹くこと、が存在しています。
○○流も枝葉です。
古典も本曲も枝葉です。
尺八という幹、根っこが育たなければ、葉を茂らせることはできないのです。
力強く大地に根をはって、天高くまっすぐ伸びてゆく、太くて立派な幹があってこそ、枝葉は立派になります。
尺八そのものが時代に人々の中に、根を張って太く存在すること、を考えると、「尺八って音が出しにくい楽器」という印象でいいのでしょうか?
もっと、正直な話をすれば、もう滅んでいる楽器、とも思われています。
名前を知らない人も多くいます。
うそだろ、って言う人もいると思いますが、うそじゃないです。
自分が興味があるから、好きだから、甘く判定しています。
現実はもっと厳しいです。
尺八が楽器としての土台をしっかり作っていくこと、
尺八が音の出にくい楽器のまま、だれにも興味をもたれず、吹く人も増えず、本当に滅んでしまうのを防ぐのは、
「あご当たり」と「あごのくぼみ」を基準にすることをやめること
が第一歩だと思います。
これまでの当たり前が、今、を生み出しています。
これまでの当たり前の結果が、今、です。
このままで、いいなら、どうそ、そのままで。
もし、ちょっとでも、このままじゃいやだな、と思う人がいたら、一緒に当たり前を書き換えて行きませんか?
「あご当たり」は「あごのくぼみ」と合わせる為にあるわけではありません。
別の役目がきちんとあります、ですが、それはまた別の機会に。。。
では、ごきげんよう。
※今日のごはん写真
チーズオムレツを作りました。
せっかくなのでケチャップで文字を書きました。
なんと読めるでしょうか?
「ぐれんげ」です。そう「紅蓮華」です。
おもわず書いてしまいました。
自分で作った料理は、基本的にカロリーゼロですね。
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