新しい世代には、
変化した時代では、
どんどんチャレンジした方が良いと思います。
いろいろな事例から学び、参考にして、自分はどんな結果をだすか。
これまでの事例を失敗例と思うか、成功例と思うか、がまず最初の関門。
そして、次にあるのは成功例は再現性が少ない。という事実を知ること。
さらに、その成功例という判断は、自分の価値感の中での成功にしか過ぎないかもしれないこと。
最終的に大事なのは、そして、どんな結果がうまれているかまで見極めることです。
厳しい言葉でまとめると、
これは成功例だ、とバカみたいに思い込んでマネをしているだけでは、滅ぶ。緩やかに滅び行く。
ということです。
昨日の記事と関連性があります。
とはいえ、読まなくても楽しめるように書いてありますので、安心してお読みください。
もし、興味がわいて、昨日の記事が読みたくなったらぜひお読みください。
ということで、今日のブログにいってみましょう!
今日の文章では「老害」という言葉がでてきますが、これは、単純にお年を召した方、という意味ではありません。
わかくても、老害はいます。
僕の考えでは、「次世代の、将来の、未来の、選択肢を狭めたり、成長を遅くしたり、可能性を潰している人たち」ってことで使っています。
なので、ここからは、そういうつもりで読んでください。
ちゃんと結果を見ていなければ、なにもかも自己満足だろ。
その価値感で出た結果を見ているのか?いないのか?と思うときがあります。
やりたいことだけをやって、受け手のことを無視した自己満足。
僕は、演奏家なので演奏やコンサート、企画におけることでこんなことを考えます。
とはいえ、表現することなんて、自己満足にすぎないと思います。
その自己満足の結果、何がうまれたか、はしっかり認識しなきゃいけないと思います。
自己満足をした結果、嫌われる。
→それでも継続できる仕組みを作らなければ滅ぶ。
自己満足をした結果、好かれる。
→継続できる可能性が増える、とはいえ、継続出来る仕組みがないと滅ぶ。
究極的にはこうでしょう。
徹底的に自分のつくりたいこと、やりたいことを貫く。
世間の求める物に合わせたりは別にしなくてもいい。
でも、その結果何が起こったかって大事だと思う。
自分の活動がその後、続けることが出来るか、終わるか、滅ぶか。
印象が、好かれているか、嫌われているか、ということって物凄く大きなけっかだとおもうんですよね。
さて、ちょっとデリケートな話を
僕はかつて、老害達が、老害達の理屈で、素晴らしいプログラムだ、という学校公演を演じる側にいたときがあります。
そこで僕は、これじゃダメだぁ~。と学びました。
もしかすると、中には、すばらしい!私もこれをマネしよう!と思った人もいるかもしれません。
その学校公演が成功している、と判断したら、マネしよう。と思うとおもいます。
本人にとっても、大事な経験ですからね。
また、仕事として成立しているから、このような形が、仕事としてあるべきものだから、マネをしよう。と判断するのかもしれません。
こういった、判断の段階で、僕は、意味のないことをやる人たち、と思ってしまいます。
結果をみていないなと。
その結果何が起きているか自覚ないのかしらと。
老害達の価値感で積み重ねられてきた学校公演のあり方で、和楽器、というものは、退屈な物になりました。
和楽器の学校公演はつまらない物になりました。
中には、修行だ、と呼ぶ学校の先生すらいらっしゃいました。
もちろん、その結果を望んでいるのなら、それでいいですけど。
だから、それを参考に、本質を伝えること、自分が目指したいより良い結果を目指しました。
一緒に悩んだり、考えたり、してくれる人たちも現れて多くの学びの機会も生まれました。
発想そのものが違っていることを学んだときは衝撃でした。
いかに、可能性を閉ざしていたか、ということも思い知らされました。
僕にとって、これじゃだめだ、という経験、学びの機会、ともに、重要だったと思います。
それがなければ、深い思考にまで至らなかったと思います。
僕の中で、和楽器であることは、きっかけに過ぎません。
たとえば、普通の音楽の時間が苦手な生徒が、僕達の学校公演をきっかけに、音楽に興味を持つようになる。
楽器の仕組み、構造、歴史から、勉強への興味が動く。
一番は、その時間を通じて、自分の夢や、自分の将来、今取り組んでいることへ、もっと思いを燃やせるようになったり。
そんなことを願っています。
日本の伝統の素晴らしさを伝えよう、和楽器の素晴らしさを伝えよう。
と思って、伝わるだろうか。
価値感は人それぞれであるなら、伝えたい目的をこちらの価値感の押しつけでいいのでしょうか?
人それぞれにある価値感を揺らすこと。
相手の心、その本人の心に届くなにかを届けること。
心が動いた、そのきっかけが和楽器だった、という経験です。
自分の心が動いたとしたら、そのきっかけとなった和楽器への価値感は変わるかもしれない。
価値感を押しつけても価値感は変わらない。
退屈で、我慢で、眠くなる、つまらない、和楽器ではなくなるかもしれない。
老害達の価値感も、僕の価値感も自己満足かもしれません。
でも、そのやり方で起きた結果をみて、
自分は違う結果を出したい。
と思うからこそ、やり方、結果も変わる。
違う未来や可能性が見える。
どんな結果をみたか。
どんな結果を見たいか。
本人の心が動いて、価値感が動く。
押しつける物ではない。
さあ、どんなアプローチをとろう。
価値感が様々であればあるほど、響く、揺れる、心へのアプローチは人の数だけある。
ではごきげんよう
※今日のごはん写真
まあ、そういった試みやチャレンジを馬鹿にする老害達も多いです。
でも安心して下さい。
理由もなにもありません。
わからないから、否定しているだけです。
チャレンジしようとしているあなたは、チャレンジを理解し、勉強し、戦略を戦術をたてて挑もうとしているんですよね。
ならば、大丈夫だとおもいます。
得られた結果を分析して、実現していきましょう。
老害に「ほら、だからいったじゃない」なんてセリフを言わせないようにするだけです。
というか、そんなこと気にならなくなっていくと思います。
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