まあ、もちろん条件は必要だと思いますし、ダメなものはダメだと思いますし。
海外じゃなくても、日本でもできる人は出来る、といわれたらぐうのねも出ませんが。
日本の民族楽器である「尺八」です。
この楽器の技術を身に着けるノウハウの最高峰は日本にこそ蓄積されているはずです。
通常は。
しかし、そうとも言えないんじゃないかという考えがまずスタート地点です。
そして、先日の猛林さんのオンラインレッスン。
詳しくは、ブログ書いていますので、興味があったら読んでください。
僕はとても驚きました。
猛林さんは、尺八を始めて独学で3年、今年で4年目とのこと。
そうとは思えないほどの演奏をし、楽器(泉月メタル尺八)の開発までしてしまうと。。。
レッスンで、技術的なこと、アクションをいろいろお話したところ、完ぺきとはいわないまでも、方向性は正しく実践されて、このまま練習をすれば大丈夫という状態になっていました。
20年ほど前の僕はこんな風には出来ませんでした。
なんとなくもできない。
あ、これを練習すればいいんだ。というところにも行かない。
そのアクションが効果的に実践できないのです。
当時の僕は、
・それなりのことはできても、その先にいけない。
・いろいろなことをやりたくてもできない。
という状態。
それなりのことができているのだから、
・その先に行けないのは、練習していないから、努力していないから、下手だから。
・練習を続けて、努力をして、頑張った先に、手に入れたいものがある。
と考えるのが普通かもしれません。
でも、僕の世界が変わったのは、全く違う発想です。
それは、
やりたいことを実践できる動作をそもそもしていなかった。
という発想に気がついたときでした。
違う動作をすることが、当たり前で、それを疑うこともなく、周囲の指摘も、そういった観点ではなかった。
違う動作をしてても、動作を変えることではなく、違う動作でなんとか形になるようにする。
という状態だったのだとおもいます。
レッスンにおいても。
その原因は、歴史や積み重ね、伝統といったものの悪い面でしょう。
余計なお世話というのでしょうか。
かつては、それが言われていた、それが大事といわれていた、でも事実は違っているアドバイスや、もっともらしい言葉で、成長の速度を遅くしてしまうような、ちょっとずれたアドバイスが飛び交います。
海外の独学者は、状況にもよるでしょうが、最新の情報、理論で、スタートすることができます。
そして、周りにそれは違う、こうしたほうがいい、という余計なお世話も発生しません。
そういったものがなく、合理的、論理的にまとまった状態で、尺八を始めるということは実はものすごい利点なのかもしれません。
もちろん、圧倒的な孤独、どうしたらいいか全くわからない。という現実もあります。
でも、いまは調べれば最新の情報に出会えます。
その情報をどう活用してゆくか。
日本では新しい情報、事実は、それ以外の声の方が大きくなってしまいます。
本当はこうなんじゃない?を一気に否定してきます。
笑い話のような例え話になりますが、仕事の現場でもないですか?
「Excelによる計算じゃダメだ、電卓で再計算だ、算盤が1番正確だ!仕事は効率じゃない!」
みたいな。
仕事だと、そういった考えが邪魔をしていることがわかるのに、楽器のことになると、急に理解できない思考回路になってしまう人もいるんです。
一世代前、二世代前の吹奏理論が正しいと考えてしまいます。
だって、伝統楽器だから。
昔に行っていることの方が正しいと。
良い指導者に巡り合えば、別ですが、指導者がいないことも大きなポイントになります。
指導者はとても大事で、意味のないレッスンは世の中にたくさんあります。
指導者がいなければ、変な指導に惑わされずに、合理性、理論性に基づいて、正しい方針を貫くことができます。
大切な伝統、歴史は、間違えると足を引っ張る側面をもっています。
おそらく、多くの人が、間違えた利用の仕方、とらえ方をしていると僕は思います。
難しくて当然、できなくて当然、という思考は、物事を難しく考えることを促進させます。
どうやったら、簡単になるか、早く成果につながるか、を考えることを歓迎しません。
そして、もし、
教えている相手が、自分より上手くなったら嫌だ。
と思ってしまったら、教えるのはやめましょう。
おそらくまだまだ習う側だし、教える資質はないです。
歴史のある楽器なのに、メソッドが確立しないこと、上達に時間がかかること、音を出すことにすら苦労していること、それをよしとしていること、に疑問を感じませんか?
もう、歴史が証明しているんです。
時間が証明しているんです。
たぶん、なにかが違っている。ってことを。
楽器とのかかわり方、吹奏理論、練習の在り方、技術を身に着けること、問題の解決方法など、あらゆる面での考え方の転換、見直しが必要でしょう。
どうやって短期間で成果を出すか。
ということで、もっと真剣に競ってみてはいかがでしょう。
時間のかかるもの、努力が必要なもの。という考え方は、当たり前のような、当然のような顔をして私たちの思考回路を停止させます。
時間のかかること、努力することは、別のものに使いましょう。
過去の自分ができなかったことを、その時の自分と同じ年齢だったり、もっと若い年齢の子がバリバリ実践している姿をみると、ワクワクしかしません。
もちろん、年配の方でも、尺八歴が長い方よりも、短期間で上手になる方を見ているとワクワクしかしません。
センス、才能、ではないです。
もちろん、本人の情熱、熱意、好き、という気持ちは必要でしょう。
でも、そこにあるのは、効率的な技術指導、明確な問題解決だと思っています。
さて、
もうちょっと、練習するとできるよ。
しっかり練習してきてね。
と、
習っている方は、いつも言われていませんか?
教えている人は、いつも言っていませんか?
それ、たぶん、違うと思います。
何を練習するか、
何を修正するか、
どうしたら、出来るようになるか、
ちゃんと考えることが大事です。
これまではこうだった。
昔からこうだった。
私はそうした。
そして、指導者のマイナスを補ってくれる熱心な生徒さんもいます。
生徒さんの努力と根性に成果をゆだねてはいけません。
本質的には間違った行為を誤魔化すように肯定してくれる言葉や状況はたくさんあります。
一回見直してみましょう。
自分が傷つくく必要はないんです。
知らなかっただけなんだから。
新しくわかったこと、発見したことは、事実は、積極的に取り込んでいった方がいいですよ。
海外の独学者の方が効率の良い成長をするのではなく、
効率の悪い成長の原因になってしまう要素を
ちゃんと取り除けば、
誰でも、独学でも、レッスンを受けても、効率の良い成長ができる。
という説を立てて終わります。
すごく当たり前の話ですみません。
その要素は何か、を本文から見つけてご自身に生かしていただければと思います。
猛林さんとのお話の中で、面白かったことがあるので、また明日にでも書きます。
では、ごきげんよう。
※今日のごはん写真
教わればできる。と考えてしまうことも危ないかもしれませんね。
しっかりと本質を取りに来ないと教わってもできないです。
結局自分のやりたいことを繰り返すだけなので。
また逆に、それは違う、これは違う、と音楽や表現において言われてしまうこともよくないと思います。
もちろん、きっかけや、導き、ヒントといったものは必要です。
でも、最後は、自分の中の音楽を作って育てる。
自分の音楽を他人にとやかく言われて枠ができてしまったり、窮屈になるのならばそんなものは、障害でしかありません。
音楽を実現するために、基礎や技術があります。
自分の表現したいことを表現するために、技術を身につけるのであれば、人にどうこう言われて、あーだ、こーだに振り回されるのは無駄です。
実現したい音楽、音を理解して一緒に作り上げる。
そういった関係性でレッスンはすすむといいなと思います。
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