自国で相手にされない民族楽器(そこまで話が飛躍していいのか?)が、海外ですこし相手にされる、評価されると浮かれる思考回路。
それは、辞めた方がいいんじゃない。というお話をしています。
あれ?そうだったっけ?
ちょっとどうだったかハッキリしないので、ぜひ別記事もお読みください。
今日は、自国での民族楽器、他国での民族楽器の評価を中心に、僕なりのちゃんと仮説を立てて、考えることをお話ししたいと思います。
問題解決するためにはとっても必要なことです。
自国の民族楽器はダサいと思うが、どうやら、別の国の民族楽器、音楽をダサいとは感じない、という現象。
例えば、日本で、二胡が人気が出ること。アイリッシュ音楽が人気が出ること。
国が違うものではありませんが、琉球音楽、琉球民謡が受けることをなんとなく受け入れるのではなくて、どうしてかを考える。
仮説をたてると、なにかが見えてくる、そんな話です。
ちょっと違うところにある民族楽器はダサいと思わない理由
僕が考えるモノは2つです。
その2つは相反するようで共通するのではないかと思っています。
一つは、「異国情緒」
そして、
もう一つは「郷愁」ではないかと思います。
完全に、反しますよね。
異国情緒でありながら、懐かしい、ふるさとのように感じる郷愁がそこにあるから、人は惹かれるのではないか。
伝統音楽にはなんとなく共通したものが存在します。
とっても単純にいうと、五音階によるメロディ。
これ、国を超えてある程度、共通して好感をもって受け入れられます。
日本でも古くから歌われているメロディ。
日本の曲かな???とおもったら、海外の曲だったりするモノあります。
埴生の宿は、イングランド民謡です。
蛍の光は、スコットランド民謡です。
などなど。
他にもいろいろな曲があります。
「異国情緒」に「郷愁」を感じる理由がこのあたりからもなんとなく感じませんか?
最新のゲーム、剣と魔法のファンタジー作品のBGMに、なにか「なつかしさ」感じたりしませんか?
とっても雑な考えかもしれませんが、
国を超えて、郷愁を感じる、懐かしさを感じる、という現象はあると思います。
だからこそ、商業的な音楽業界で「ケルト音楽」というものが確立しているのです。
自国の民族楽器、音楽は直視できない。
そして、他国の民族音楽だったり、ケルト音楽だったり、日本人が同じ日本なのに琉球音楽になにか魅力を感じるわけです。
これらの原因には、良いと感じる共通するモノがあるからです。
でも、一方ではそれを自国の民族楽器で表現されるとダサいと感じることにも理由があると思います。
誰がやっているとか、そういった印象のモノもあるかもしれませんが、
もう一つは、直視できない。
ストレート過ぎて辛い。
という部分もあるのかもしれません。
例えるならば、
おにぎりの中身は「梅干し」よりも「ツナマヨ」なわけです。
抹茶のようかん、よりも、抹茶パフェ、が丁度い良いんです。
直視できない部分があるのかもしれません。
求めているモノを、少しずらして提供されることで、受け入れられる、純粋に楽しめる部分が生まれるのかもしれません。
沖縄音楽、琉球音楽が、ブームになったころ、
女子十二楽坊が、ブームになったころ、
この頃に、僕はこんな風に考えていました。
ゲーム音楽、アニメ、といった中で使われる「ケルト音楽」これで、ほぼ間違いないなと思いました。
異国情緒、幻想的でありながら、郷愁、懐かしさ、ふるさとを感じること。
自国の民族楽器で、郷愁、懐かしさ、ふるさとを表現するのは、ストレート過ぎるのでしょう。
当たり前すぎて、イヤにすらなる。
そこはかとなく、うまれる「郷愁」に惹かれている。
もしかすると、異国情緒、幻想的に意識が向かっていて、実は「郷愁」の生む懐かしさ、安心感も心地よい、好き、惹かれるポイントだと思っていないのかもしれません。
直視できない理由、それはやっぱりダサいっていう感情があるんでしょうね。
他国の民族楽器には、ダサいと感じない。
活路は、海外にしかないのでしょうかね。
そして、海外にむけて発信するモノに、なんの仕掛けもなくていいのでしょうか。
活路は海外、と思いたくないんですよね。
いい物はいいから、海外に受ける、という思考では危ないですよね。
どうして、海外で評価されるんでしょう。
どうして、海外で喜ばれるんでしょう。
いいものはいい、のだったら、自国でも受け入れられて、歓迎されているはずです。
自国では微妙な理由、海外で受ける理由。
ちゃんと仮説を立てて行うことで、その結果、得られる情報ってめちゃくちゃ違うと思いませんか?
成功例だけを見ていたらわからないことがたくさんあります。
仮説という軸を中心に得られた失敗による情報、結果の上に、成功はなりたっています。
では、ごきげんよう。
※今日のごはん写真
いいものはいい。
和楽器は○○だ。
日本風のモノ、和風のモノを演奏するものだ。
邦楽的に演奏するモノだ。
と固定した考えだと、思いもしない発想かもしれません。
本文中の話題としてとりあげた、琉球音楽、他国の民族音楽の作品が、
もちろん、いいものだから、受け入れられた、ブームになった。という事実もあると思います。
ならば、受け入れられない、ブームにならない、ものは、いい物ではないんです。
もう、自分たちで最悪の事実を立証をしているわけです。
ならば、どうするか、をかんがえなけらばいけないんですよ。
いいものはいい、とバカみたいに信じること、盲目的になることには、何の意味もないでしょう。
自分ならこうする、自分はこう思う、という場面に出会ったときには、なぜそうしているのか、考えて見ましょう。
だいたいのことはもう織り込み済みです。
理由を説明出来ます。
そんななかでも、理由なきこと、仮説と検証のないものを改善、修正していくことができるか、が大きな分かれ目です。
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