自分の意見を示すだけなら、何かを否定する必要はない。結論を出さなければいけない問題でないならなおさら。

尺八を演奏している動画をあげた場合ですね。

よーわからん、コメントがついたり、否定的な言葉が生まれたり、ありがたい(余計なお世話の)アドバイスがついたりするわけです。

ワンポイント講座なんかも同じですね。

 

もしかしたら、同じような場面に出会った方もいるとおもいます。

いやーな気持ちになったりしていませんか。大丈夫でしょうか?

 

僕は、いやーな気持ちになるので、すぐブロック、ミュートです。

僕は僕の健康を守ります。

 

「そういったものを、一つの意見だと思って受け入れる、聞き取ることも大事だ」とさらにありがたい言葉を言う人もいますね。

それを実戦できる人は本当に立派だなっておもいます。

 

とはいえ、聞くに値しないモノ、だって当然存在します。

関係性、内容、質、でそれは決まります。

 

 

どんなに、ご高名な先生、演奏家だとしても、その人のことを知らなかったら、「しらんがな」です。

 

あなたは誰?

とか

しらんがな。

とか、

 

余計なお世話になっちゃうんです。

 

まあ、こんなもんはお互いさまだと思います。

 

当然、僕だって、そうです。

僕だって「しらんがな」って思われる存在です。

 

僕は、好き勝手に発信する側にいるという自覚もあります。

だから、個人を攻撃、否定するようなことはしないように気をつけています。
僕の価値感をおしつけるために、出かけて行く、ことはしません。

 

だから、僕の話、内容、尺八への考えが合わないひとは「見ない」という選択肢だってとれます。

その「見ない」「触れない」「近寄らない」という行動をとらずに、僕を制限する、価値感を押しつける、という行動をとってしまう人も多いでしょうね。
いわゆる、乗り込んでくる、という形です。

こういった、バグった感じの人ほど活発なのは本当にいかがなものかと思います。

 

もちろん、僕もバグっている側だという自覚もあります。

活発な側だという自覚。

 

だからこそ、絶対にしないこと、やらないこと、があるんです。

 

 

多くの人は、踏みとどまることができるんですね。

乗り込んでいくことはしない。

攻め込まないんです。

 

自分の価値感を押しつけに出かけていかないわけです。

 

そのヤバさをしっているから。

 

 

でも、それを乗り越えることができる活発な人もいるわけです。

そして、そういった行動は目立ってしまうんです。

それが、全体の印象になってしまう。

 

はあ、いまだにこんな価値感の人がいるのか、尺八やっている人には、、、、

 

と、がっくりと肩を落として、残念な気持ちになってしまいます。

 

何かを否定して、自分の価値感を守ったって、何にもないし。

自分の思い通りに、他人を変えよう、なんて思い上がりです。

 

僕は大学生の部活動の尺八の講師をしています。
ジュニア邦楽合奏教室の講師もしています。

そういった立場があるでの、学生さんたちも、ジュニアの子どもたちも、僕のことを先生と認識してくれているので、話を聞いてくれます。

でも、やっぱり関係性をしっかり作って行かないと、しらんがな、ってなるし、なんかやなかんじ、にもなるんです。

そういった、立場にあってでも、です。

 

だって、僕のこと、よく知らないですから。

ちょっと尺八が上手なだけの人くらいの認識でしょうよ。

 

僕の演奏も聴いたことないし、どんな活動しているかもわからない。
能力も、キャリアも、実績も知らない。

 

知らない人に、偉そうに何か言われても、気分悪いだけです。

 

すでに、講師、という立場の関係性があっても、徐々にしか真の関係性、ってのは生まれないんです。

 

 

 

それをちょっとひっくり返したり、短くしてくれる、とはいえ、諸刃の剣的側面をもっているものだって今はあります。

SNSなどでの繋がりです。

いわゆる単純接触効果による影響ですね。

 

知らない人ではないという状態、さらには好意的に感じている状態があるスタート地点が作れます。

 

まあ、これは逆にもなるわけで、

SNSでの印象と実際が違う、っていうのもあります。

 

なんか想像と違った。見たいな幻滅。

実際にあうと、悪い人ではないのにね。というSNS弁慶。

 

両方です。

 

僕がなんかやだなって感じるのがあります。
これは僕自身もやってしまっていることがあるし、ほんと気をつけなければと思うことなので、ほんと自戒を込めてなのですが。

否定すること

だとおもうんです。

 

自分の意見、考え、信念が人それぞれにはあると思います。

実現したいモノが。

それのために、何か否定する手段をとってしまうのは、悪手になります。

 

何かを否定して、自分の意見を主張するのは、損する未来しか考えられないし、自ら道を閉ざすし、行き場を無くしてしまうかもしれません。

 

 

 

学校の先生、スクールの先生、自分が習っているという関係性がある人に、指摘を受けるのと、全く関係ない人に指摘を受けるのは、意味合いが全く違うと感じませんか?

関係性があったとしても、難しいものです。

それが、関係性のない人が、急に指摘する。
指摘の仕方も配慮なし、否定的、となるとどうでしょう。

 

あんた誰?

 

じゃないですか。

 

でも、こういったことってすごく簡単に起こる。

 

余計なお世話アドバイス。

否定的なマウント。

 

んで、これを議論だ、議論だといって正当性を主張する人たちもいます。

 

議論しないんですか?って。

 

何か1つの意見や考え、自分の思いを表明するとそういったことが起きます。

 

議論、討論、を望んでいない。

マウントをとって優位性を示すような、形になるものはなおさら。

 

違う意見がそこに存在するから、というだけで、議論、討論、が生まれるわけではないんですね。

 

ほんと単純に事実を言えば、違う世界がある。違う意見がある。と言うだけなんです。

 

ただ、意見の中に、何かを否定する手法、をとると、対立形式が生まれちゃうんですよね。

 

 

それで、盛り上がっているように見えて良いことなんてない。って僕は思っています。

 

 

賛否両論が、、、という言葉があります。

賛否は、一方だけによれば、賛と賛でしかないんです。

 

盛り上がるのならば、賛のみで盛り上がっている方が良いと思います。

賛の中での議論なら、建設的です。

 

賛の中に、もう一つの賛(相容れない否)を持込んでの議論は、僕は不毛だと思うんですよ。

 

 

お互いさまです。

僕の話が嫌な人は、「ちかよらない」「ミュート」「ブロック」してください。

 

僕は僕の場所から発信します。

わざわざ、出かけて行ってまで自分の考えを押しつけにはいきませんので。

 

 

 

では、ごきげんよう。

 

 

ま、ここまで読んでくれた人には、まーったく関係のないお話なんだと思いますが。
いつも読んでくれてありがとうございます。

共感するような、仲間のような、一緒に頑張れるような人達が増えて行ったらいいなって僕は思います。

近づいてくれる人、興味を持ってくれる人、そのために、僕はここで、僕達の場所で発信し続けています。

 

 

※今日のごはん写真

悲しい話、残念な話が目立つ。
まあ、そういうことが出来るのはバグっている人だからですね。

で、バグっている人って少ないと思うんです。
本当は。

普通の人の方が多いけれども、普通の人は活発な活動をしないから、バグっている人だけがいるように思える。見える。
結果、ジャンルが衰退するようなイメージを形成してしまうことだってあります。

一人一人の言葉が届く時代です。
そして僕達はその言葉に支えられています。
モチベーションにもなります。

僕達のことを応援してくださっている方の存在がとっても支えになります。
励みになります。

いつもありがとうございます。

 

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