安易な「らしさ」を表現だと勘違いしないほうがいい。らしさを排除することで得られるもの。

先日のブログ記事に続いて、僕の価値観が強いブログになりそうです。

 

もうちょっと書いたほうがいいかな、と思ったので書きたいことを書きます。

なので、もしかすると、いやな気分になる可能性もあります。
それでも、読みたい!しりたい!という方はお付き合いください。

 

では、ごきげんよう。

 

 

ダイジョウブですか。

いいですか。

 

土台作り、基礎作り、を制限するものを少しお話してました。

それらを邪魔するもの。

それが「音色」であり「音程」だと。

土台作り、基礎作りを壊してしまうもの。もっともらしい、必要で、当然のことのような顔をして近づいてくるので気をつけたい。

まずは「音そのもの」が大事だと。

しっかり音を出せるかどうか、楽かどうか、ということ。

そして、それらが、均一に扱えるかどうか。

均一な音色を目指す。そこからようやくスタートライン。そこを目指すことを「機械とかわらない」と揶揄する人を気にするな。だってその先を目指すんだから。

その流れから、尺八を楽器として扱い、自由自在に表現するための土台作りを邪魔するものがまだあります。

 

それが「尺八らしさ」です。

 

らしさ、はとても大事です。

基礎をつくるうえで、それが取り込まれた状態のものもあります。

 

でも、一方で、基礎土台を壊しかねないものだってあります。

 

 

 

「らしさ」が「あざとさ」になっていないか、

を考えたいと僕は思っています。

 

 

 

そんな考えの鯨岡がどんなこと思って尺八を吹いているか。

 

 

僕は、一般的な認知の想定範囲の中に尺八が存在することが嫌なんです。

その想定を超えたものを提供するのが役目の一つだと思ってもいます。

 

一般的な尺八のイメージ、いわゆる尺八らしさ。

 

その中に納まって、やっぱりそうだね、と確認される感じは嫌だなって。

 

例えば、古いとか、昔とか。

かすれた音、低い音とか。

ゆったりとした音楽しかできないとか。

興味のないことをしているとか。

お正月とか。

日本人で良かったとか。

聴いていると心が落ち着くとか、癒される。とか。

 

 

もちろん、いい面だってありますよ。

でも、それって確認なんです。

 

新しい刺激、新鮮な発見はそこになくて、確認、になってしまっている。

つまり、音も音楽も演奏者もみていない。

自分の経験、自分の知識、といった情報で理解しているんです。

 

だから、僕はその認識に対して違和感を与えたい、と思ってます。

すでにある、認知に対して。

 

仕方のないことかもしれないです。

 

でも、

 

予想通り、となって収まってしまうことは、評価の低下につながります。

なので、可能な限り、予想を裏切りたいし、予想を超えたいと思っています。

 

こういったことは「認知」の話ともつながってきます。

 

尺八は知られていないわけではない。

知らないから、聴いたことがないから、尺八に興味を持つ人がすくないわけではない。

という考えです。

ブログにも書いたので、お時間あるときに読んでいただけると非常にうれしいです。

知ってもらえば、聴いてもらえば、魅力が伝わる、という思考回路は、認知とは一体何かを理解していない。

 

なので、僕は「尺八らしさ」に安易に頼りたくない、という発想があります。

もちろん「らしさ」は大事です。

そのうえで、その「らしさ」を効果的に使いたい、もっと良いものにしたい、想定を超えるようにしたい、と思うわkです。

 

まずは、尺八ってどんな風に認知されているだろう。

尺八らしさとはどんなふうに認知されているだろう。

 

そのうえで、想定されるらしさ超えた、尺八の演奏、表現になっていきたいと願っているわけです。

 

そんなことを考える僕にとって、本当に苦手な「らしさ」があります。

 

それは、都合よくつかわれている「尺八らしさ」です。

言葉を選びませんが、下手であることから自分を守るために「尺八らしさ」を使うことです。

 

そう、尺八らしさを下手を隠すことに使って欲しくない、と僕は思っています。

 

安定しない、決まらない、音質が不必要にふらふらする、いろいろありますが、音楽にとって不自然で不必要なことが起こっている状態。

コントロールできない、技術、表現になっていないのにそれを尺八らしさといってしまう。

 

それが本当に苦手です。

 

まあ、これは僕自身の考えですから、違うことを考える人もいて当然でしょう。

 

そして、厳しい言葉を言うようであれば、

 

「尺八らしさ」という言葉を都合よく使ってで自分の下手をごまかすな、ということです。

 

 

先日のブログで、均一な演奏を「機械のような演奏」と揶揄するという話題を書きました。

 

そこの言葉を使うとなると、

下手に聞こえる「尺八らしい演奏」なんかよりも、圧倒的に機械の演奏の方がましだと。

機械のような演奏、ではないです。
機械の演奏です。

だからこそ、はっきり言えば「機械よりましな演奏」できているかを考えた方がいいと思います。
機械と変わらない演奏が最低ラインでしょう。

あ、もちろんその最低ラインより下にも演奏は存在しますよね。

 

つまり、言葉だけで行ってしまえば、「尺八らしさをともなった機械を超えた演奏」と「尺八らしさ満載の機械以下の演奏」が存在します。

そして、これは似ているようで圧倒的に違います。

 

らしさ、というのはとても都合のいい言葉です。

歴史、伝統、文化くらいに便利に都合よく使えてしまいます。

 

あなたの「らしさ」は、どうでしょうか?

向上心、探求心、楽しむこと、において妥協するために「らしさ」を使ってしまっていませんか?

 

都合よく使うことはどれだけでもできますよ。

 

「らしくない」ものを超えて、本当の「らしさ」が見えてくると僕は思っています。

 

 

ではごきげんよう。

 

 

 

※今日のごはん写真

今日の記事は、自分のために書いた記事です。
自分が取り組んでいること、実現しようとしていることに、迷ったり、揺らいだり、している自分自身を安心させるために書きました。

なので、多くの方にとって、どうでもいい話だったり、それは違うと思う話だったりすると思います。

そんな記事を読んでいただいてありがとうございます。

 

あ、でもよく考えれば、ブログなんてぜーんぶそんなもんか。

そんなものを読んでくださる方には、本当に感謝です。
ありがとうございます。

 

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