尺八の音が出ない理由は「尺八が難しいから」ではなく「知らないから」です。

とても単純明快なタイトルですね。

当たり前の話です。

 

でも、こんな風にシンプルにかんがえればわかることなのですが、そのように考えられないのですね。
人って、不思議でめんどくさい生き物ですね。

 

なんだか聞いた話ですが、

コンピューターで制御されたロボットがけん玉をする。

正しい動作がプログラムされれば、ロボットは正確に、必ず、成功させます。

 

しかし、プログラムがまちがっていれば、必ず、失敗します。

プログラムがまちがっているのに、成功したらそれはもうシンギュラリティですね。

 

でも、これを学習型のAIに制御を任せるわけです。

AIは、何百回、何千回、何万回と、動作を試すわけです。

で、あるとき急に成功します。

そしたら、そのもう二度と失敗しないわけです。

 

プログラミングで制御されたけん玉の成功の動作。

AIが何万回かの試行動作のすえに学習したけん玉の成功の動作。

 

同じでしょうか?

 

違うかもしれませんよね。

プログラミングでの成功動作は、人間の成功動作から、導き出されたり、モーションをトレースしている。

AIの成功動作は、人間では真似のできないような成功の動作、何万回行われたディープラーニングの結果導き出された思いもしないような、AIオリジナルのアクションかもしれないわけです。

 

こんな風に考えると、AIは膨大な試行によって、独自のオリジナリティのある、人間には再現できないけん玉の成功動作を導き出すかもしれないわけです。

 

 

さてさて、長い前置きですね。

 

尺八は音を出すのが難しい。

尺八は音が出にくい。

 

という言葉は、どんな状態で話されていると思いますか?

 

尺八がどうして音が出るか、を知らないまま、話されていることが多いと思います。

そして、これは尺八を習い始めている人でもそのように話している場合があります。

 

尺八の音がどうして出るか、どのようにすると音が出るか、知らないのに、

尺八の音は出すのが難しい、出にくい。

と話してしまうと言うことの背後に隠れているものがあります。

 

それは、

 

吹けば音が出る。

 

と思っていることです。

 

吹けば音が出る。

たとえ、吹いても音が出なくても、なにか工夫して吹き方をなんとかすれば音が出る、と考えているのではないでしょうか。

 

吹き方をなんとかすれば音が出る。という思考です。

 

 

百歩譲って、千歩譲って、マンボおどって、なんとか工夫して吹けば音が出る、としてもですよ。

 

何に基づいて、工夫するのでしょうか?

 

音が出る、という結果だけが判断基準でしょうか。

これでは、何百万回もディープラーニングするAIと勝負する世界になります。

 

ハッキリ言って人間には不可能です。

 

だから、学ぶんです。

レッスンを受けろ、ということではありません。

 

 

「尺八がどうして音が出るか」を知らないのに、

「音が出る・出ない」に関して難しいとか話すのは、

おかしなことだと思いませんか?

 

知らないから、出来なくて当然です。

難しいとか、難しくないとか、の段階にいないんです。

その状態の自分を正しく認識すると「知らないから、音が出ない。」です。

 

でも、そのように自分の状態を認識せずに「尺八は音が出ない、難しい」ということや、

「肺活量がいる」とか「腹式呼吸がどうのこうの」と語ってしまうのは、正しく自分の状況を認識出来ていません。

 

知識を軽視しています。
かなり不遜な態度だと思います。

 

つまり「吹けば音が出る。なんとかすれば、音が出る」と思っているわけです。

 

この状態で尺八を始める方は、大事な説明を聞いてくれません。

大事な行動の価値を理解してくれません。

 

自分の「吹く」を優先します。
AIが行うディープラーニングを自分でやることになります。

独自の吹き方が手に入るかも知れませんか、、、、おそらく時間がかかりすぎます。

 

これは、あとあと長引く問題を抱えることになってしまいます。

 

 

 

 

 

なぜ、音が出るか、という尺八の音の出る理由を少しでも考えること、知ることがとても重要なのです。

 

「どうなると音が出るか」の道しるべがあるから、そこに向かって自分の動作を精査していくことが出来ます。

 

そんなものもなく、自分の想定できる範囲のみで、音が出る結果、動作に辿り着くでしょうか?

多分、無理です。

希に、出来ちゃう人もいます。

でも、それは希です。

 

基本的に、人は知らないことは出来ません。

認知した瞬間に、それをそれと認知したり、認識できます。

 

だまし絵、とか、迷彩している写真とかでもそれと同時のことが起きます。

 

最初は、全く見えないのに、認識した瞬間に、それしか見えない、それとしか認知できないという経験をしたことありませんか?

 

 

それが尺八を吹くことにおいても起きます。

 

つまり、音が出ない、ことなんてない。

 

何をしても、音が出る、という状態になってしまうわけです。

 

まさに、吹けば音が出る、という状態は存在するわけです。

 

その状態になってからが、尺八のスタートです。

 

 

吹き方がわるいから音が出ない、吹き方を練習すれば音が出る。

その考え方だと、ちょっとしんどいし、とても時間がかかるかなと、思っています。

吹き方、の前に、考えること、理解すること、があり、達成しなければいけない段階があります。

 

つまり、尺八を吹く、前に1つのミッションがあります。

そのミッションを達成してようやく吹く段階にはいります。

 

多くの人は、それを軽く見ています。

初心者はもちろんですが、そこそこ吹けるのに安定しない、音が出なくなることがある方も。

音が出なくなったときに、吹き方をあれこれして解決使用とする。

 

その前の段階にもどってから吹けば、簡単に調子は戻ります。

 

なのにそれをしない。

 

だから、練習内容が安定しない、わけです。

練習内容が安定しなければ当然、安定した演奏なんか出来るわけないですよね。

 

長くなったので今日はここまでです。

 

 

ではごきげんよう。

 

 

※今日のごはん写真

自分の知っていることで、クリアできると思っているから「難しい」と考えます。
「しらない」からクリアできないと思えば「知ろう」と考えることが出来ます。

しらないこと、たくさんあります。

でも、なぜだか、しらないことがあることが恥ずかしいことのように感じてしまいます。
そこでどんな行動をとるか、知った被るか、高をくくるか。

おしえてもらって、なるほどとおもう。

とても当たり前の行動なのですが、なぜか自分の認識、認知の中ですべてが出来ると思ってしまう。
自分だけで自分の中から、新しい発想が生まれる、導き出される、と思ってしまう。

出来なくて当たり前、だから学ぶし、習っている。
しらなくて当たり前、だから学ぶし、習っている。
だから、素直に学び、習い、実践する。

学び、習う姿勢は当然大事だと僕は思います。
一方でその大前提を腐さすような残念な先生、先輩もいます。
正直に言えば、、、、まあ、距離をおいて、離れた方が良いと思います。

 

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