盛り上がる、盛り上げる、と言うだけなら自分たちの都合で良いと思います。
自分たちの思いつく方法でおこなえば良いと思います。
盛り上がる、盛り上げるのは、邦楽界なので。
で、その様子を外から見たときに、どんな印象になるか。
が次のリアクションになります。
邦楽界が盛り上がっている様子を、外の世界の人はどのように感じるか。
いいな、
すごいな、
たのしそうだな、
仲間に入りたいな、
といったポジティブな印象が必ず生まれるとは限りません。
周囲は、外の世界は、その盛り上がりから、一歩引いてしまう結果になることだって起きます。
邦楽界だけが盛り上がって、周りはさーっと引いてしまう。
盛り上がりは、内輪ウケ、発展していけば、気味悪さ、嫌悪感も生む可能性がある。
別の物事・ジャンルに置き換えたら、良くある事例だとおもいます。
なにかの世間の盛り上がりに対して気味悪さ、嫌悪感を感じたことないですか?
きっとあるはずですよ。
でも、わがこととなるとそういった視点を持つことをついわすれてしまう。
もしかすると、衰退、減少ってそういったことの小さな積み重ねの結果かも知れないのです。
邦楽界から出てくるような「邦楽を盛り上げる方法」なんてものは、ここ何十年もの間おなじような考えが堂々巡りしているだけです。
僕だけが、私だけが、ひらめいた画期的な考え、なんてないです。
結果を生んだ方たちの本当に変化が生まれる考えや提案は、だいたいが客観的な視点、外部からの評価、判断によって導き出されています。
ですが、得てしてそういったものは、邦楽界からは、嫌がられたり、それは邦楽ではないと否定されたり、和楽器でやる意味がない、現実的ではない、やりたいことではない、と望んでいないものとして取り扱われます。
でもね、それが画期的で有効な考えを元に、こつこつと実践して、その人の影響力の範囲で小さな変化が生まれます。
そういった、個人個人のわずかな変化を起こしている人達はちゃーんといます。
そういう人達にして見たら、原因をなにかのせいになんかしていません。
今ある状況で自分がどう動くか、何をするかを考えて、実際に行動を始めています。
西洋音楽に毒された日本がうんたらかんたら、
学校教育における日本文化のあつかいがうんたらかんたら、
明治維新後のうんたら、戦後日本のうんたらかんたら、
伝統と歴史が、文化の継承をないがしろにする、うんたらかんたら、
とか言わないんですよ。
西洋音楽と対立しないんです。
時代が選んだ時代の流れと対立しないんです。
安易に対立構図で盛り上げないんです。
対立構図にすると盛り上がっているように思えたり感じたりします。
その盛り上がりを外から見るとどんな印象になるでしょうか。
僕達は今を生きているから、今をどう生きるかってことがめちゃくちゃ大事で。
自分の力だけでは変えられない現実に打ちのめされて、それでも貫いていきたいから必死にやっているんです。
一人の力では実現出来ないことを実現して世界を変えようとするならば、論じるだけでなく動き出していかないと。
それも、ちゃんと「今」「現状」といった時代とあった流れに乗れるモノでなければかなり厳しいです。
時代の流れに逆らったり、あらがったりして生き残るってマジで大変です。
だいたいダメです。
解決したい問題点があった場合、その問題が生まれた理由を考えてみないと。
こうすれば解決できる、とおもった考えが生まれたら、そもそもなぜその問題が生まれたのを考えないと。
正すことでもないんです。
真偽を問うことでもないんです。
優劣を競うことでもない。
盛り上がる、拡がる、ってことはそれとは全然違うことなんです。
書きたいことはいっぱいあるのですが、今日はここまで。
ではごきげんよう。