別に尺八らしく吹く必要なんてない。学んでいかせるモノと、学んでも到底出来ないモノ。

ここ数日分のブログでは、演奏における、尺八らしさ、に関してお話ししています。

僕の基本的なスタンスは、「らしさ」が「あざとさ」になったり「わざとらしく」なったりしないように、と考えています。

数日前のブログですが、お読みでない方はお時間のあるときによろしくお願いします。

安易な「らしさ」を表現だと勘違いしないほうがいい。らしさを排除することで得られるもの。

もっと大げさに言えば、余計なことをしなくても「尺八で演奏している以上、尺八でしかない。」ということです。

 

ですが、そういった演奏をすると、

「尺八らしくない」

「尺八でやる意味がない」

といった言葉が最もらしく簡単に語られてしまいます。

 

まあ、そこは1つの価値感ですので、否定はしませんが、否定される筋合いもありません。という話です。

 

僕と同じように、もっとスマートに尺八「らしく」演奏したい、と思っている人に向けて僕が考えていることを少し書きたいと思います。

 

 

さてさて、「あざとく」「わざとらしく」なってしまう理由ですね。

それは、そのようにやってしまうからです。

は?

という感じですが、先日の「方言」のたとえがしっくりくると思います。

「らしさ」と「あざとさ」の違いは、なんとなく分かっている。

「その地方以外の人が方言を読んで発音する」

これと

「その地方の人が方言を読んで発音する」

 

これには明らかに差が生まれると思います。

まずはイントネーション、書いてあるのになんとなく省略される母音・子音、書いてないのに生まれる母音・子音がそこにはあります。

だからといって、それらの微妙にちがうニュアンスを書き込めば書き込むほどおかしな箏になっていくと思います。

 

さて、尺八の演奏です。

つまり、楽譜に書いてあることを「楽譜に書いてあるから」音にしてしまっていませんか。と。

 

ちょっと過去のことを振り返ってみると、もともとは楽譜はなく、口伝です。

そしてあるときに人はメモをとるようになりました。

 

そのときに聞えた音を、メモとして書いた。

 

その音には、意図して発音したものではないものも交ざっているかも知れません。

「そう吹いているように聞えた。」

この再現は、聴いた本人にしかできない、とても難しい行為です。

 

基礎的なアクション、動作によって、偶発的にうまれた音、すらもメモとして書かれている可能性があります。

 

そういった演奏が一般的になっていけば、初めから楽譜を想定して作られた曲にも、そういった音が最初から書き込まれていきます。

 

そうなると、偶発的な音は、偶発的な音だ、という理解がないと、わざとらしい音として、あざとい音として演奏されてしまいます。

 

こうなってしまうと、

次の世代に繰り替えさえれていくたびにディフォルメが重なってしまう。

という現象になっているかも知れません。

 

楽譜にもよると思います。

シンプルな楽譜をいかに尺八らしく吹くか、はその奏者の経験に委ねられます。

そう演奏して欲しいにしても、偶発的な経過音など、すべての音を細かく書き込まれた楽譜もあります。

それをいかに演奏するかが大事な訳です。

 

ここで、考えるのが、偶発的な音、基礎アクションによって生まれる音、といったモノです。

 

アタリ、オシ、ユリ、オリ、ナヤシ、いろいろな技術があると思います。

まさにそれらですね。

 

さて、

ツレー

ハロー

なんで、そんな風に吹くのでしょう。

ツは吹きたい音なのでしょうか。
ハは吹きたい音なのでしょうか。

なぜそう吹くか、を考えて、楽譜に書いてある以外の理由を考えて、音にしてみるとガラッと変わります。

 

楽譜に書いてあるから、そう吹く、という段階を過ぎてもまだまだ気をつけたいことはあります。

 

どうして、音の立ち上がりに、ブシュ、ブシュ、と風の音をいれるのでしょう。

なぜ、いつも音の終わりに、意味不明のビブラートがはいるのでしょう。

たどりつきたい音の高さにまで上がりきらないのに、刷り上げる発音をしているのでしょう。

 

僕自身も気をつけたいことがたくさんあります。

標準語で話しても伝わります。
方言で話して伝わらないときがあるなら、標準語で話します。

それでも、ときおりみせる「らしさ」があるから、その人のバックボーンや生い立ち、故郷が見えてくるとおもいます。

 

学んで出来ることと、学んでも到底出来ないものがそこにはあります。

 

そう考えた方が圧倒的にシンプルで迷いのない演奏が出来ます。

 

尺八で演奏している以上、どうしたって、どうやったって、尺八の演奏に聞こえます。

わざわざ、尺八でござい、と見得を切り続ける必要はないんじゃないかなとおもいます。

ここぞというところで、決める、かっこよさのためにも。

 

わざとらしくしなくても、ちゃんと尺八のかっこよさが伝わっているとおもいます。

 

もちろん、奏者の腕があわさってなせる魅力です。
尺八への興味は確実に新しい切り口からも生まれていますよ。

 

となってくると、「らしさ」というのはもっと細分化して考えることができます。

一つ前提としてある尺八の楽器としての「らしさ」。

そこに、ジャンルの「らしさ」が乗っかってくる。

 

ジャンルの「らしさ」って簡単なもんじゃないですよ。
とくに、本曲、古典、民謡、といったものは。

 

僕は簡単には語れないです。

 

ジャンルのらしさがびしっと決まっている演奏者は本当に限られます。
幼いころからその中にいたんだなということがすごく大事なんだとおもいます。

そういった、望んでも手に入れることが困難な「らしさ」を簡単に語ろうとする人は苦手です。

 

ジャンルのらしさ、を乗せることは難しいけれども、

尺八で吹く以上、楽器として尺八から音が出ている事実は、なによりも尺八らしさがそこにあります。

それだけで、充分に尺八らしさが存在しています。

 

 

 

ではごきげんよう。

 

 

 

※今日のごはん写真

「方言」のことだと思えば、「らしさ」というのはとても難しいことのように感じませんか。
なかなか、真似の出来ないものです。

一朝一夕で手に入るモノではないと。
そして勉強したから、学んだから、手に入るモノでもないと。

それくらいに割り切ってしまった方が、さっぱりできますよ。

生まれる前から、お母さんのおなかの中にいるときから、その音を聞き、その音の中で育っている人達には敵いません。

それらが出来ているみなさんの演奏は、もうすごいですね。
うっとりします。
そして、それが自然だからべつにそれを見せびらかすことはありません。

方言ってそういうもんじゃないですか?

 

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